2021年10月19日火曜日

世の中には「分からない」本が多いので読書が楽しくなる


『日本沈没 第二部』読了。話のスケールは比べ物にならないくらい大きい。大きすぎてかえって、読者がついていけそうもないと考えて、読むのを諦めているのではないかと思うくらいだ。そして、この物語は無限に続くのだろうが、それはその後に出たいくつかの小説、例えば最近なら『三体』に引き継がれたのだろう。

この本に影響を与えたのかも知れないと考えて、バナールの『宇宙・肉体・悪魔 理性的精神の敵について』を図書館で予約。読むかどうかは不明だが、近所に図書館があると、気軽に借りたり返したりできるので便利だ。それに、あまり人気がない名著で貸し出しが何年かないと廃棄本にされると聞いたので、読まなくてもたまに借りるという意味はある。

バナール先生は大学でちょっとかじったX線結晶解析の親玉でもある。

https://allreviews.jp/review/4654

廃棄本対策という意味ではないが、『吉田健一ふたたび』を借りてきて、拾い読みを始めた。再度借りたきっかけはもちろん、『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』の著者川本直さんが、編者である執筆者でもあるからだ。『時間』が吉田健一の最晩年の著書であることも改めて知り、この本も書棚から引っ張り出す。吉田健一のムツカシイ著書は、何度読んでも新鮮だという長所を持っている。分からないから吉田健一が嫌いだというひとは食わず嫌いなのだろう。ホヤの味は何回食べてもコトバで言い表すことがムツカシイ。コトバがカバーしきれない感覚や真実というのがあるのだろう。「分かる」と「分からない」で本を差別するのも変な話だ。世の中の本はすべて「分からない」もので、それを自分なりに解明していくのが読書であり、楽しいのだ。


昨日借りた、レイ・ブラッドベリの『キリマンジャロ・マシーン』の冒頭の有名な文豪と出会う話が面白かった。これも、「分かる」のだが、振り返って考え始めると「分からなく」なる短編小説の典型か。この話をもとに自分でいろいろと考えることができるという意味で、楽しく「分からない」ストーリー。



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