2021年10月16日土曜日

『小松左京自伝』のストレートな筆致が好ましい

6時5分起床。外気温19°C、室内気温25.7°C。

昨夜の「ゲンカンカフェ」の鹿島さんと東さんの対談の内容と長さが話題になっている。

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『小松左京自伝』の続き。

いよいよ『第6章 日本沈没」

S48年(1973年)3月。500万部。カッパノベルス。なつかしい。

S39(東京五輪の年)に書きはじめ。滅亡だけでなく、最初から日本人が流浪の民となって生き延びることまでも書こうとしていた。

戦争での悲惨さと、高度成長に浮かれることを対比し、日本人とは何かを考え直してみようとした。

書き足りない状態で出したので最後に「第一部完」と入れさせた。題名は『日本滅亡』か『日本漂流』としたかった。

日本沈没第二部の取材のためオーストラリアに出かける。

売れたが、累進課税で95%はもっていかれた。

地球物理学の竹内均さん、地震学の坪井忠二先生に感謝を捧げた。

プレートテクニクス理論に刺激を受けた。

すぐ書くつもりだった続編はなかなか書けず。紆余曲折のあと、若いSF仲間と平成18年(2006年)7月、『日本沈没 第二部』上梓。33年ぶり。

映画『日本沈没』第一作はS48年(1973年)12月27日公開。880万人動員。監督森谷司郎、脚本橋本忍。

S57年(1982年)から「NICOGRAPH」にも関係。日本コンピュータ・グラフィックス協議会。

S58年(1983年)、映画『さよならジュピター』。

S56年、「イオ」創設。81歳の父が喜ぶ。

S60年、つくば博もサポート。5年後、花博も。

S60年、『首都消失』。

平成6年(1994年)、『巨大プロジェクト動く』。

95頁。

「第7章 不滅のSF魂」

平成7年(1995年)1月17日午前5時46分。阪神大震災。鬱になる。

平成9年、星新一亡くなる。葬儀委員長。翌年三浦浩も。

77歳、まだ頑張る。椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症。

平成18年『日本沈没』リメイク。樋口真嗣監督。

『小松左京全集完全版』。オンデマンド出版。

『小松左京マガジン』。

以上でこの本の自伝部分は終了。このあとは、主な作品ごとのインタビューとなっているが、まず『日本沈没』から読もう。

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本日も、孫の世話のサポートに行く。熱は下がったので、通常土曜日運転。3連続で通ったので、昼食は有名カレー店のスペシャルランチをおごってもらった。美味かった。ビール付き。


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