2021年10月22日金曜日

吉田健一の『埋れ木』は良く分かってつまらないと思ったが、よく考えると分からなくなってオモシロイ

吉田健一の長編の一つ『瓦礫の中』、自分の本として買って読みたくなったが、高い。

ブログを検索して、どうやって前回は読んだのかを調べたら、『吉田健一著作集』を図書館で借りている。仕方ないので今回もそうすることにした。これは、ブログの効用だが、記憶力が悪い証拠でもある。そういえば内容もよく覚えていない。(だから借りるのだが。) たしか、終戦直後の防空壕での生活をする夫婦が描かれていたような気がする。内田百閒先生(バラック住まいだが)みたいに。

これは河出文庫版の書影です

つなぎで、『埋れ木』(集英社)を読む。最初の方の文章論がオモシロイ。皮肉なのだがマジメに読んでもオモシロイ。こんなのをとりあげても、新しいSlackチャンネルで仲間とギロンすればいいのかも。以下に抜書きしてみた。(抜書きが大切というのもギロンしてみたい。)

6頁。

「我が国では小説を書くことを創作と称して何か大変なことに考えられているが小説を書くのでも、殊にその出来上った小説を見るならばそう大して面倒なことには思えない。一般に書くというのはそれが手紙に止ることでも誰でも始終していることでそれ程の難事業ならば郵便局が困る筈である。それが新聞に書くとなるともう少し下地が出来ていなければならないとしてもそれには世界各国の古典を渉猟し、明治以後の日本で文章家と称するに値する極く少数のものの文章に親んで置けば充分でそれは結局は教育があるものならば誰でも新聞に書く位のことは先ず造作もないということである。」

一見するとツッコミどころ満載なのだが、これは小説の一節であり、韜晦が入っていることを考えるとゆっくりと料理するのがオモシロくなるだろう。

寒いので、日向ぼっこをする犬のようにして(実際には布団にくるまって)、本を読む。

吉田健一を読み、読み疲れたらiPadでOL Readerを使ってInternet Archiveのなかをさまよっていると、時間はいくらあっても足りない。

今日配信の、『ファウンデーション』のビデオ、エピソード6を観る。あいかわらず、アシモフの原作との乖離に悩む。悩まないで、別物と割り切ってしまえばいいのだが。

ロシアでコロナの新型変異株が暴れているようだ。年末年始に大事なイベントを控えたこの時期に。困る。

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夕方、雨をついて、夕食の買い物に行き、ついでに、

J・D・バナール『宇宙・肉体・悪魔 新版』(みすず書房)

乙部順子『小松左京さんと日本沈没 秘書物語』(日本工業新聞社)

を借りてきた。

後者は、再来週のメルマガ巻頭言「日本を沈没させた小松左京の苦悩」の参考書となるだろう。

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