われわれはソフトウェア屋なので、問題を「表面的に」発見すると、問題の本質(それは海水のなかの氷山のようにその大部分が隠れている。)を見抜こうとせずに、ソフトウェアを使って問題の一部分を解決する方策を懸命に考えはじめる癖があります。それはまるで現在の日本の各種問題へのアプローチに酷似しています。本来、何がしたいのかを見失った議論は不毛でエネルギーを無駄に消費していきます。
まず、「問題」そのものの大きさとその構造を理解しないといけません。どうもこのためには、いままで受けてきたソフトウェア教育では足りないことが有るのかも知れません。学校で真に「学んで」きた方々は、身につけてきた能力と技術がここで十分に発揮できるでしょう。
「問題」の本質をとらえるにはどうするか、どう分析・構造化するか、はその人の全人格的能力を傾ける必要のあるところです。経験も必要ですがそれ以上に問題に立ち向かう謙虚な態度が必要です。想像力も必要ですし、想像したことを実際のデータで検証することや、実際のデータおよび顧客の談話を理解する能力も必要です。
理解することと、理解したことをいかに記述するか、に関しても重要な能力が要請されます。しかもそれらは切り離せないことなのです。
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