2018年11月13日火曜日

「無意識」の分析はむつかしい(出来ない?)が、活用はできるはず

 今朝の林檎。シナノスイーツ。甘い。美味。



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 「意識は傍観者である 脳の知られざる営み」(ディヴィッド・イーグルマン 大田直子訳 2012年 早川書房)読了。脳内の「数多く」の無意識「プロセス」達の議論の末、意識にうかび出る人間の決断。脳内民主主義。この考え方が珍しく、面白かった。精神疾患を持つ犯罪者の(処罰にでなく)更生に重点を置いた考え方をすべきという主張も頷ける。

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 無意識と意識の関係について、過去の読書から考えてみるという新ブログテーマを思いついた。構想を以下にメモしてみた。

→『文章作成と無意識』

文章を書きながら考え、また書く。この過程でどのように無意識の影響があるのか。あるいはそもそも無意識が主導して我々に書かせるのか。

文学者達の経験から来たと思われる意見をその著作から拾い集める。

(1)村上春樹、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
222頁など
(2)夏目漱石、「夢十夜」
(3)内田百閒、「(未定、すべて?)」
(4)辻邦生、「モンマルトル日記」の「ユリアヌス」執筆、イメージの連鎖
(5)ト一マス・マン
(6)芥川龍之介と睡眠薬
(7)プルースト
(8)ワインバーグのさがす自然石は無意識中に転がっている


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 今日も夕方の買い物のついでに、図書館で三冊借りてきた。



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 NetGalleyという、発売前の新刊書のゲラを読めるサイトの会員になっていたが、今日自分のプロフィールを書き直したら(このブログに言及した)、すぐ希望本のゲラ(DRM付きPDF)を送ってくれた。ブログ続けていて良かった。でも新たに読む本が2冊増えて、都合ただいま12冊(T_T)

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 校正業務はノルマを果たしたが、追加でもっとやろうと、記事を選択中。調子が出てきた。

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 調子が出ない稀勢の里。三連敗。めげずに頑張ってほしい。引退してはだめだ。

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