2018年11月5日月曜日

シナノゴールド、百鬼園の錬金術、そして偉大なる無意識

 今朝の林檎。シナノゴールド。果肉は香り高く引き締まり、酸味と甘味がうさわやかに調和している。熟れすぎないうちに食べるのが良い。



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 昨日作ったカリンのジャム(というより砂糖煮)はパンやクラッカーに付けて食べた。うまい\(^o^)/

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 廃棄デスクトップPCは予定通り、今日の昼少し前に佐川急便さんが来て、あっという間に持っていってくれた。これで一件落着。数年使っていなかったPCだが、少しさみしい。金メダルになって復活して欲しい。



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 「百鬼園戦後日記」を読み続ける。岩波茂雄が60歳代なのに脳出血で亡くなったので、その葬儀に出かけたりしている。昭和21年の4月。相変わらず、自転車操業の生活、つまり印税が入ってきても酒代と食費で右から左に消えていく。天候の悪い日は小屋の外に出られず、顔も洗わなければトイレにも行けない。このあたり私の生活に通じるところがある。印税じゃなくて年金だが。でも、彼はその生活の模様を日記に書き、それを材料にして面白い随筆を書き、カネを作る。百鬼園風錬金術。すごい。

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 身につまされすぎるので、別の本も併読したくなり、「意識は傍観者である」(ディヴィッド・イーグルマン 太田直子訳 2012年 早川書房)を読み始める。意識は(「無意識」という)氷山の一角といわれているが、この本では全国紙の見出しだという。細かい記事の内容は見出しを見る人には無用の存在だし、ましてや地方紙は手にも取らない(取れない?)。面白そう。

 たとえば、このブログの内容は毎回事前に検討して書くかと言うと、そうでもない。これを書きたいと意識して書き始めることもあるが、それはたいてい単なるきっかけに過ぎなくなることが多い。全く書くことが思いつかなくても、キーボードの前に座ればいつの間にか何かを書いている。自分の中の「無意識」がブログを書かせていると言ってもいいかも知れない。キーボードに慣れないのに、毎日何かを書きなぐっているのは「意識」だけでは絶対にできない。

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