2020年7月15日水曜日

ユーゴー『笑ふ人』は19世紀の長編小説のお手本だ

国会図書館デジタルコレクションで、『笑ふ人』をを読みすすめる。

『ユーゴー全集. 第四巻』(ユーゴー全集刊行会 (冬夏社内))。

200頁を超えたが、やっと映画の最初のほうのシーン(笑ふ人と乳飲み子が、老人と狼のワゴンにたどり着く)においついた。『レ・ミゼラブル』もそうだが、イントロのうんちくが長い。もっとも、これの場合、船があるいは海洋小説が好きな人(私も実はそうだ)はかなり興味深く読むのだろう。プルーストの『失われた時を求めて』の、晦渋な冒頭もそうだが読み飛ばす技術が必要そうだ。

当時も小説好きな人はこうでなくては物足りないと感じたのかもしれない。その人は「今日ママンが死んだ…」といきなり書かれると唐突すぎてイヤになるだろう。時間のない現代の読者は、長編小説を読まなくなった。そして小説の世界に迷い込む楽しさを忘れている、と思う。

ビジネス・レポートでは結論を先に書けと、社内研修で教えたことがある。起承転結の構成は暇人のためのものだった。そこにロマンと人間味の入り込む余地はない。いかに正確に相手に自分の論理と意思を伝えるかが問題だった。

でも、一語何円と言われたら、どんなレポートも長く書くだろう。プログラム・コードに必要以上にコメントを入れて、ステップ数を稼ぐツワモノもいた気がする。

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吉本隆明の『共同幻想論』を手に入れてマジメに読もうかと悩み中。いまさら感もあるのだ。でも、「過去」の人の本として素直に読んでもいいかしらとも。若いときの経歴を読むとどことなく自分に似たところもあって捨てがたい。

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