2020年7月9日木曜日

『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店)には読みたくなる本の書評が満載されている



『書物の愉しみ 井波律子書評集』(岩波書店 2019年)を読む。500頁以上の本だが全編書評。井波さんは今春亡くなられた中国文学者。私より5歳年上の方だ。経歴を読むと、若くして亡くなられたのが惜しまれる。

この本は読む前に思ったとおり、人を困らせる本だった。つまり、何冊となく読みたくなる本を推薦してくれる、書評本の鑑のようなスバラシイ本。

1頁。
著者の原初読書体験。ひらがなのまとまりが意味を持つことに気づく。それ以降は濫読。たとえば、当時住んでいた西陣の貸本屋から借りて一日にニ・三冊ずつ読む。大学に入り、フランスの小説や評論を濫読。その後、中国古典へ。ある本を読み、そのつながりで次の本を読むという三昧境を経験。

41頁。
このあたりで紹介されている幸田露伴が私にも興味深く、中古で露伴全集をあやうく買いそうになり、値段でなく置き場所がないので踏みとどまった。幸田露伴は少年時代に何が望みかと尋ねられ、「芋を食って本を読んでいたい……」と答えたそうだ。そして、専業作家となってからは、早起きして9時までに仕事は済ませ、その後は読書三昧。愛書家ではなく読んだ本はどんどん始末した。いわゆる、テーマ読書をした。これはマジメに仕事をするには当たり前とも思える。司馬遼太郎や松本清張がある事柄の資料をトラックいっぱい集めたというのに通じそうだ。

83頁。
中村真一郎の『全ての人は過ぎて行く』の書評。最後の随筆集。これは即図書館システムで予約。

210頁。
『論語』を読むなら、まず中島敦の『弟子』を読むべしとのこと。早速青空文庫で読み始めた。オモシロイ。なお、その後読むべきなのは、吉川幸次郎、桑原武夫訳。そして宮崎市定の『論語の新研究』と白川静の『孔子伝』。ご本人の『完訳 論語』(岩波文庫)はおくゆかしく、紹介していない。

213頁。
現代人なら、蜂屋邦夫訳の『老子』のほうがオススメかも。

260頁。
「もう少し年をとって時間ができたら……洋の東西を問わず、また、読んだことのある本もまだ読んでいない本も合わせて、長い長い物語を次々に読み、ゆったりどっぷり物語世界に浸ってみたい……」
この気持は痛いほどわかる。井波さんは充分に読書を楽しんだのだろうか、あるいは今盛んに読んでいるのだろうか。

328頁。
ここでも『弟子』が登場。「孔子と高弟子路の類まれな信頼関係を活写した作品」とのこと。

331頁。
『サガン――疾走する生』の書評だ。「無謀な暴走をつづけ、燃え尽きたサガンを無惨というべきか、あっぱれというべきか。」だそうです。

334頁・
幸田露伴の『運命』は傑作だそうだ。これは国会図書館デジタルで眺めてみた。

335頁。
花田清輝のレトリックを学ぶべし……

388頁。
齋藤礎英の『幸田露伴』は露伴文学への絶好の水先案内。これはアクセス可能な図書館にあるし、Amazonでも(中古で)安い。

475頁。
『論語』と中島敦の『弟子』のススメの書評がもう一度。

すべてではないが、最後まで読み切った。

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