2021年2月20日土曜日

日記を書くことは苦しい生活の中で人間らしく生きるための助けとなる

午後2時から、高遠弘美先生の連続講座「『失われた時を求めて』で挫折しないために 第1回」を視聴。プルーストの貴重な初版本やご自身の著作などを見せていただいたが、オンライン講座に適した内容だった。淡々とした口調も題材にぴったりで、相当にご準備されたのだろう。頭が下がる。次回は3月13日。待ち遠しい。

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夕方5時半から生中継を観た。全豪オープンテニスで大坂なおみさんが優勝。一貫して強くしなやかなプレーだった。昨年から今年にかけて質の高い練習をしたものと思われる。おめでとう!このようなレベルの高いテニスを観たのははじめてだ。

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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

Bach Without Words
Anna Christiane Neumann
23曲 • 29分 • Nov 05, 2015
BWV 106、BWV 62、BWV 147、BWV 294

https://music.amazon.co.jp/albums/B017AR5O7Y


レーゼル・プレイズ・バッハ
ペーター・レーゼル
20曲 • 1時間10分 • Apr 24, 2018
BWV826、BVW 846、BWV971、BWV971、BVW 889、BWV828

https://music.amazon.co.jp/albums/B07C5RL81T


Bach: Goldberg Variations (Arr. M. Salcito for Guitar)
Marco Salcito
32曲 • 1時間50分 • Jun 30, 2014
BWV 988

https://music.amazon.co.jp/albums/B00L4XG50G


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『トーマス・マン日記』(紀伊國屋書店)の全巻読破、二回めに入る。今日は1933年から1934年の巻を取り出してきた。付箋を挟んでおいた場所をまず、読む。

1934年2月11日。
アローザでふたたび始めたこの日記の記録は、私にとってはあれ以来一つの慰めであり救いだったのであり、私はかならずやこれを書き続けるだろう。……思い出にふけったり読み返したりするためというよりはむしろ、自分の行動の責任を明らかにし、それを総括し、意識化し、責任をもって監視していくという意味においてである……

このあとの、亡命生活の苦しさを乗り越えるためには、日記が最も重要な役割を果たしたようだ。私のこのブログも、老年の弱さを克服する手段となるように、書いていきたい。

2021年2月19日金曜日

赤木曠児郎先生追悼(その2 『私のファッション屋時代』を再読して)

『私のファッション屋時代』(赤木曠児郎 1997年 近代文芸社)を再読した。

まえがきで、1988年から1992年まで、「服飾手帖」という機関誌に連載したとある。本文のはじめには「私達夫婦が、東京からパリにやって来て、今年の四月で、丁度満二十五年になる。」そして、「ファッション・ジャーナリストの兼業から身を引いて、本来の念願の画家としての仕事に専念する決心をした」とも書いておられる。一貫して画業への望みを持っておられたが、岡山大学理学部物理学科に入学したことでわかるように、広い視野でそしてご自分の興味のわくものに都度打ち込む姿は、参考になる。物理は「物」の「理屈」を習うのだから悪くないと入学したが、数式ばかり使う教養部の講義についていけず落第した、というあたりは、私の場合とそっくりで苦笑がおさえきれない。結局、なるべく数式を使わないことの実習や集中講義で単位を集めて何とか卒業されたようだ。ここも私と同じ。

違うのは、学生時代も絵が好きでファッション画をはじめいろいろ修業し、先生についているし、岡山大卒業後に芸大も受験しているというその徹底ぶりだ。芸大は幸か不幸かデッサンではねられた。

その後、洋服仕立てなども学ばれて、1963年29歳で私費留学。このあと、絵も書きながら「ファッション屋」で生活費を稼ぐ、だけでなく、パリのファッション界と日本のファッション界の架け橋として貴重な役割を果たされた。

これらは、回り道ではなく、パリという環境でアルティザンとして根をおろし、一人前以上になった上で画家を本業にするという、きわめてオーソドックスな道をたどったと言えるのだろう。

赤木曠児郎先生の絵は、観るものの心を揺さぶるのだが、これは先生の生き方のもたらす必然である。パリ生まれの人以上に、パリの風景を生き生きと写す手腕は、この50年におよぶ前半生がなくては得られなかった。そして、パリで根をおろせなかった私にも、普遍的で柔軟な生き方の象徴として、影響を深く与え続ける。

あと何年生きられるかわからないが、私も赤木曠児郎先生のように死ぬ直前まで自分の「興味」の対象を追いかけ続けたい。

「ファッション屋時代」の話が中心の本なのだが、画家修業の本としても読める貴重な人生を記録した本である。

『私のファッション屋時代』
右はその仏訳本(サインしていただいたもの)


2021年2月18日木曜日

赤木曠児郎先生追悼(その1)

これまでに赤木曠児郎先生についてブログに書いた文章を抜き出してみた。

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2016年11月14日月曜日
赤木曠児郎先生は街角風景一枚を描くのに30日間は同じ場所に通うとおっしゃていました。そんな絵を何百枚も描いておられるので、脱帽です。

しかし、一人の人間に与えられた時間は有限です。芸術家に限らず、この問題を克服するのは、人すべての課題です。

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2017年11月9日木曜日
赤木曠児郎さんの講演会と、辻邦生―パリの隠者展、どちらも良かった。寒風の中を恵比寿の日仏会館まで出かけたが、その価値はあった。

辻邦生さんの高輪の書斎の古びた机。書き込みのあるパリの地図、佐保子夫人が描いた多数のマンガ。日記の原稿の細密な字。どれも興味深い。書斎の棚を写した写真にはトーマス・マン全集が認められた。

よく観てから、出ようとしたら受付の女性が「どうぞ」と記念冊子を渡してくれた。ありがとう。

赤木さんの講演には少し時間があるので、近所を散歩してみた。日本離れした街並み。

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赤木さんは時間を30分オーバーして喋った。講演は最初で最後かもしれないとおっしゃる。私の精密な画風の源泉は物理学を専攻したことと、洋裁という手仕事に関わって、物事を深く追求するところから来るのだとも。

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2017年11月14日火曜日
「私のファッション屋時代」(赤木曠児郎 1997年 近代文芸社)を読み始めた。赤木画伯は湯川博士に影響されて入った、岡山大理学部物理学科出身だが、数式が苦手で教養部時代に物理の単位を落とした。と書いてあった。よく卒業できたとおもうでしょう。

先日の日仏会館での講演会で、種明かしがあった。当時岡山大学には東大や京大から夏休みなどに有名教授が集中講義に来た。それに出席して講義だけ聴けば、単位をくれたのだそうである。のんびりした良い時代だ。

それでいて、卒業の2,3年後に得体のしれないことをやっている(つまり「まとも」な会社に就職していない画伯を心配して先生が訪ねてきて、就職を世話しようとしたらしい。ますます良い時代だ。

画伯は私より15年先輩だ。

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2019年9月5日木曜日
「85歳記念 赤木曠児郎展 」に行ってきた

読書はお休みして久しぶりに都心に出かけることにした。展覧会と、国会図書館と、本の購入が目的だ。

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最大の目的は日本橋三越6Fのギャラリーでやっている「85歳記念 赤木曠児郎展 」の観覧。10時に家を出た。涼しいはずだったが、少し蒸し暑い。用心して弱冷房車に乗ったらかなり暑かった。

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赤木さんの展覧会に来るのはは前回2016年9月26日以来だ。途中、2017年11月13日に恵比寿の日仏会館で講演を聞かせていただいた。この講演で赤木さんの波乱に富んだ経歴がわかり、一層彼の絵が好きになった。85歳の今も元気で絵を書き続けておられるのもスゴイ。今日もお見受けした所、膚の色艶は私よりずっといい。パリの街角でスケッチを良くしているせいだろう。

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金欠症なので、今日は画集とかカタログは買えないと思い、講演会で頂いてサインを貰ってない本を持参した。『私のファッション屋時代』の仏訳版。ところが、それにサインしていただいた後に、なんと、『アカギの版画パリ百景』もわざわざ持ってきていただき、それにもサインをされはじめた。金がないのにやばいなあ、まあカードで払えばいいか(実は良くないが…)と考えていたら、これは私にくださるとおっしゃる…。ありがたく頂いた。

以前の新書版の『アカギの版画パリ百景』は持っているが、今回のは大判でカラー図版だ。価格は45€と書いてある。嬉しい。

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一時間くらい滞在したので、画伯に握手していただいて退去した。また、3年後くらいに展覧会はあるのだろうか。あってほしい。

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「ねている」という題名の裸婦の絵があり、その絵の右上に本物か置物かわからない猫が描いてある。その猫の背景の紫がかった色に惹かれた。昔見た国吉康雄の少年の絵の背景の青に通じるものがある。吸い込まれそうだ。

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2020年11月28日土曜日

赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう)先生が、夜9時からのTBSテレビの番組『世界ふしぎ発見!』に少し出演された。短いインタビューで、内容は乏しかったけれど、週5日も街角で絵を書くなど、お元気な姿を見ることができて嬉しかった。コロナ禍のパリ、気をつけていただきたいものだ。


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本日昼から、全豪オープンテニス、準決勝を生中継で観る。大坂なおみさんとセリーナ・ウィリアムスさんの準決勝だ。最初、セリーナのパワーが上回り、なおみ危うしと思ったが、すぐ盛り返した。落ち着いた試合ぶりでその後はセリーナのパワーを上手くかわし、結局ストレートで勝利。前回の全豪オープンの試合よりも数段試合運びが洗練されていた。このまま行けば「名選手」と呼ばれることになるだろう。おめでとう。 

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本日夜9時、お仏壇が届いた。本体の設置床面積は0.5㎡くらいだが、重量は100キロくらいありそうだ。運送屋さんが「こんな重い仏壇は初めてです。」とぼやく。20年ほどしか経っていないのだが。田舎の仏壇は大きい。使われている木材も重量級のようだ。あとで、材質を調べてみたい。付属品や経机のダンボールも3箱届き、部屋が一挙に狭くなった。そのせいでJが不機嫌。明日からまた片付けが続く。「終活はつらいよ」だ。

かろうじて寝る場所を確保し、搬入路を空けるために動かした荷物を戻し、外した手すりを取り付けたら翌日になった。


2021年2月17日水曜日

赤木曠児郎先生が亡くなられた(T_T)

昼過ぎにFacebookで第一報を受けた。にわかには信じられず、第二報を待った。10時過ぎにGoogle検索で記事が見つかった。やはり本当だった。以下のTweetをした。



先生には2016年から2019年にかけて、展覧会や講演で短時間ずつお目にかかり、サインを頂きながら、お話を伺った。顔を覚えていただき、温かい言葉もかけていただいた。





先生の絵とお人柄も好きだったが、そのひたむきなしかも余裕のある生き方そのものが好きだった。もうお会いできないのは残念で落ち込みそうだが、購入したり頂いたりした画集や自叙伝を見て気持ちを奮い立たせたい。


先生のことを綴ったブログ記事を読み返したが、落ち着いてからでないとできそうもない。

2021年2月16日火曜日

『トーマス・マン日記』全十巻を読み終えたので、また最初から読み始める予定

『トーマス・マン日記 1918−1921』を最後まで読み終えた。

1921年9月17日。『ゲーテとトルストイ』講演旅行をドイツ国内で行う。最初リューベックに立ち寄り、7日間滞在、講演以外の時間をなつかしい街歩きで過ごす。この日の日記は旅行から戻って書いたもの。

12月1日。1921年の収入は300,000マルク。嬉しそうに書いているので、予想より多かったのだろう。エイヤーで100倍すると、三千万円。莫大というわけではない。やむを得ずだろうが、トーマス・マンは外面的には貴族的な生活をしていた。高価な住まいや身なり。使用人も複数。そう思うと46歳のこの頃も内情は苦しかっただろう。そして子供も多かった。

ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
Katia Mann mit ihren sechs Kindern um 1919.
Von links nach rechts: Monika, Golo, Michael, Katia, Klaus, Elisabeth, Erika.

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ところで、これで『トーマス・マン日記』(紀伊國屋書店)を10巻全部「読んだ」ことになる。このブログを本格的に書き始めたのは、2016年10月で、さかのぼってみても第一巻を買ったのがいつか解らない。思いついて、Amazonの過去の注文履歴を調べたら、2014年5月12日に中古品1400円で買っていたのが判明。この後、やはり中古で4冊買った。残りの5冊は高くて買えず、世田谷区立図書館に揃っているのを発見して、昨年から一年がかりで5冊借りて読んだ。こうして見ると、借りるほうが本は早く読めるとわかる。買うと安心してしまい、いわゆる積ん読になる。でも、この本のように資料的価値もある本はできれば手元に置きたいのだが、財布が許さない。

さきほど、手元にある第一巻から第五巻をめくってみたら、内容を記憶していないところが多いのに気付いた。また、最初から読む必要がありそう。また、十冊読むことになるのか。終わるのは5年はかかる。全集も並行してよむのであれば10年かかるだろう。生きているうちはずっと読み続けるような予感がしてきた。

それも面白そうだ。

2021年2月15日月曜日

『論語と算盤』は読みやすいがわかりやすくない

昨日の大河ドラマ初回の影響をまだ受けているらしい。知人の、やはり渋沢栄一のことを書いた文章を読んだのも手伝って興味が増し、渋沢栄一の『論語と算盤』を流し読みした。平易に書かれた本なので、流し読みでもある程度理解できる。

ただし、「道徳的なことが最も経済的である」ということをこの本の中で明確に示しているのかどうかは、わからなかった。最近出た同名の本を図書館で注文したので、特に解説などをよく読んで見る。

今日読んだのは、これ。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1195171



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Twitterで、漢詩のBotからのTweetを愛読しているが、中でも詩の雰囲気が「宇宙的」で気にいっているのは李白の詩だ。『唐詩選』(岩波文庫)の1978年に購入したものがあるのを思い出し、目次を眺めて、李白の詩を探し出し、一通り目を通してみる。今日は片付けで忙しかったので、駆け足で読んだので良さが身にしみてこない。一日に一つぐらいのペースで少しずつ味わう必要がありそうだ。すると、Botにするというのは良いアイデアだったわけだ。


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片付けプロジェクト、前半の山。

テレビ台と古いスピーカー(一台30キロ)二台をつなげた飾り台の位置を入れ替える。広い部屋なら楽だろうが、家は狭くガラクタに近いものが床の上にたくさん置いてあるので、これは難行苦行。腰も痛くなる。

でも、苦労の甲斐あり、仏壇の設置スペースが確保できたし、テレビは食卓に近づき、食事しながらの場合は、近く(3メートルが1.5メートル)なり見やすくなった。作業中は大雨だったが、作業が終わる頃に晴れあがって、虹がみえた。




2021年2月14日日曜日

『青天を衝け』(第一回)と『天国と地獄』、両方しっかり観てしまった😅

『トーマス・マン日記』を読み続ける。

1921年4月26日
クラウディアとの「新しい関係」の着想を得たと書いてある。結局あの夜で逢瀬は最後になったわけだ。またまたクラウディアが戻って来るという展開も悪くないのだが。そうすると『魔の山』がもっと長くなる。読者が減ってしまうと思ったのかも。(個人の感想です。)

5月21日
ノーベル賞の話が持ち上がる。(45歳にして初めて……?)
兄のハインリヒとどちらが先にもらうのかという事も考えていたらしい。


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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

Bach: Psalm 51 from Pergolesi's Stabat Mater BWV 1083, Cantata "Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust" BWV 170
Coro della Radio Svizzera, イ・バロッキスティ & ディエゴ・ファソリス
18曲 • 1時間1分 • Nov 06, 2006

https://music.amazon.co.jp/albums/B003I572NM


片付けプロジェクト。

書斎兼寝室に何故かおいてある鏡台の下に押し込んであった古いゲーム機類を捨てることにし、そのスペースにリビングからサブウーファーを押し込む。古いがまだ音は出る。

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夜、日曜なのでNHK交響楽団の大河ドラマがある。『青天を衝け』がはじまった。一回目なのでまだなんとも評価できないが、題材に期待をして観ることにする。ARのこの記事を読んでおくと良いと思われる。鹿島さんの本の、「まえがき」だ。
https://allreviews.jp/review/3104


納得できなければ、この講座を受けるべきか。

https://allreviews.jp/news/5275

ドラマでどこまで渋沢栄一の思想を表現できるのかが問題だが、とにかく頑張ってほしい。

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この後、『天国と地獄』(TBS)も観てしまった。これも面白くなってきた。毎回新しい展開となり、飽きない。
日曜の夜は、オシゴトの書き入れ時なのだが2時間テレビ漬けになってしまった。やむをえない。

2021年2月13日土曜日

「コミュニケーションの本質は、「索引」の交換にある」

「Revue」を使ってみた。ブログを検索し、あるキーワード(例えば「索引」)について、見つかった記事のうちから適当なものを選んで、メールに仕立てる。この時、Chromeの拡張機能Revueを使うと便利。いくつか選んでおいて、Revueの編集画面に行き、メール本文用に並べ替える。ブログ記事のアドレスや画像のサムネイル化などはRevueがやってくれる。各記事の追加説明の文言を入力するだけ。あとは、送信するだけ。即時に送信するか、スケジュール送信するかを選べる。なお、送信は一日一回まで。
今日作って見たのはこのようなメール。


うまく作れるようになったら、他の方にも送って読んで頂くことを考えたい。希望者いるかなあ?

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朝、「コミュニケーションの本質は、「索引」の交換にある」という命題を思いついた。『チコちゃんに叱られる!』を見ながら、考えついた。この番組では担当ディレクターがあるテーマについて、調べる。大抵は識者に取材する。識者はテーマに関すて自分の知っていることを話すが、これはテーマに関する索引情報であることが多い。それをディレクタが受け取り、自分なりに解釈して、自分の(やや情報が欠け落ちた)索引をもとに、台本を作り、ビデオを撮影して放送する。この索引情報を、視聴者は受け取って自分のなかにまた索引を作る。「諸説あります……」というのは、言い逃れでなくて、これは索引情報であり問題の「答え」ではないという断り書きだ。

学校の講義も、講師が自分の研究した索引情報を、生徒に与えて生徒は自分の索引を頭の中に作る。これだけでは、講師の索引より良いものは出来ないので、生徒はより発展した勉強・研究をする。これは講師のものとは違う索引を入手して、別の索引を作ることになる。

ワインバーグの『コンサルタントの道具箱』(日経BP社)の中(85頁)の警句に、「ウィーナーの図書館の法則 答えなどない。相互参照があるだけだ」というのがあるが、これは悲観的に、私の命題を言い換えたものとみることができる。

索引について考えると面白くてやめられなくなる。さっき作ったメールの冒頭のブログ記事に出てくる、学魔・高山宏先生は、若い頃2年間で大学研究室の図書管理をしながら、5万5千冊の本にほとんど目を通し、カードに索引を作ったという。このことが学魔の基礎をなしていると。これは先程の命題の正しさを証明するのではないか。

物集高見も同様のことをやったし、塙保己一もそうだ。しかし個人の出来ることには限りがある。われわれには情報(検索)システムという強い味方がある。

『トーマス・マン日記』や『トーマス・マン全集』(のドイツ語新板)が膨大な索引で膨れ上がるのはアタリマエのことだ。世の中はこのように進んでいく。インターネットやコンピュータ・システムの発展がこの方向への動きを助長する。すべては索引に始まり索引に終わる。

諸説あります😊



2021年2月12日金曜日

『プルーストへの扉』からは最初から教わることが多く読むのが楽しい

『プルーストへの扉』を本格的に読み始めた。この本は三部構成だ。つまり、「はじめに」のあとに、

第一部 マルセル・プルーストとはどういう人間だったのでしょうか

第二部 なぜプルーストを読むのでしょうか

第三部 そう、プルーストは読めない作家ではありません

が続く。

この後に、「訳者あとがき」があり、高遠弘美先生の力作の

文献目録

プルースト関連年表

本書に登場する固有名詞索引

が30ページに渡り、続く。

「はじめに」に書かれていること、が言い得て妙だ。

作者は自分の作品を大聖堂に喩えています。圧倒されるほど大きいのに、細部を見ると、この上なく精緻な彫刻が施されている建築物と言えばいいでしょうか。

これは素晴らしい言句で、プルーストがわからないという人には、わからない細部または建物の大構造を探れと言える。またわかったという人にはどちらをどうわかったかと尋ねればよい。それらの議論のきっかけになる。ここに目をつけた著者の慧眼に脱帽する。

もう一つ「はじめに」から引用する。

プルーストにとって、藝術作品というのは、藝術家固有の認識方法の力を借りてようやく入ることが許されるひとつの世界だ……

なのでわれわれが大聖堂にはいるには、プルーストのものの見方を素直に受け入れることが必要なのだろう。

第一部のプルーストの生涯の要領良い記述まで読み終えて、今日は本を閉じた。楽しみながら、考えながら、ゆっくり読まないともったいない本だ。

カバーを取り外して読んでいるが、本体の装幀も素晴らしい。



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片付けプロジェクト実績

(1)テレビラックの棚から、CD・DVDプレイヤーを取り外し、置き場所無いので、書斎(!?)の現用CD・DVDプレイヤーと重ね置きした。試しにCDを聴いてみた。もう一方のものとあまり変わりはない。SACDが聴けないのでマイナス一点。しばらく様子を見て処分を決める。

(2)テレビラックはかなり片付いたので、スピーカーコードなどを取り外すと同時に、新しい場所である壁際に移動する。今度の土日でやろう。


2021年2月11日木曜日

愛の言葉は母国語以外で語るのがお勧めらしいです

今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

SELECTED WORKS OF J.S.BACH Douze Cordes
10曲 • 41分 • Feb 04, 201

https://music.amazon.co.jp/albums/B00HTUUL58

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もうひとつのプロジェクト、片付けの実績。

(1)テレビの載っているラックから、古い(20年ものの)Y葉のAVアンプを、取り外した。音が出たり出なかったりの状態だし、そもそもドルビー立体音響(?)を聴く気がしなくなった。思い切って、廃棄処分にする。明日は燃えないゴミの日なので出してしまう。20リットルの袋にピッタリ入った。重い。テレビの音はテレビからだけで良いとわりきる。

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『トーマス・マン日記』を読み進める。

1921年4月。『魔の山』執筆に気乗りがしない。退屈し、納得もいかないのである。こう言っているが、原因は多分、歯の痛み。歯性が悪いマン。これも自分に似ていると思って実はこっそり喜んでいる。ともかく歯医者に行って治療を数日続けたら、また書き始めた。クラウディアと主人公の逢瀬で大切なところではないか。主人公は酒に酔った上でカタコトのフランス語で愛の言葉をささやく。真面目人間にはラブシーンをフランス語で書くのが億劫だったのかもしれない。

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夜、9時から11時までは、AR友の会のオンライン定例会に出席。新規企画がいくつか出たし、なかなか面白かった。