これまでに赤木曠児郎先生についてブログに書いた文章を抜き出してみた。
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2016年11月14日月曜日
赤木曠児郎先生は街角風景一枚を描くのに30日間は同じ場所に通うとおっしゃていました。そんな絵を何百枚も描いておられるので、脱帽です。
しかし、一人の人間に与えられた時間は有限です。芸術家に限らず、この問題を克服するのは、人すべての課題です。
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2017年11月9日木曜日
赤木曠児郎さんの講演会と、辻邦生―パリの隠者展、どちらも良かった。寒風の中を恵比寿の日仏会館まで出かけたが、その価値はあった。
辻邦生さんの高輪の書斎の古びた机。書き込みのあるパリの地図、佐保子夫人が描いた多数のマンガ。日記の原稿の細密な字。どれも興味深い。書斎の棚を写した写真にはトーマス・マン全集が認められた。
よく観てから、出ようとしたら受付の女性が「どうぞ」と記念冊子を渡してくれた。ありがとう。
赤木さんの講演には少し時間があるので、近所を散歩してみた。日本離れした街並み。
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赤木さんは時間を30分オーバーして喋った。講演は最初で最後かもしれないとおっしゃる。私の精密な画風の源泉は物理学を専攻したことと、洋裁という手仕事に関わって、物事を深く追求するところから来るのだとも。
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2017年11月14日火曜日
「私のファッション屋時代」(赤木曠児郎 1997年 近代文芸社)を読み始めた。赤木画伯は湯川博士に影響されて入った、岡山大理学部物理学科出身だが、数式が苦手で教養部時代に物理の単位を落とした。と書いてあった。よく卒業できたとおもうでしょう。
先日の日仏会館での講演会で、種明かしがあった。当時岡山大学には東大や京大から夏休みなどに有名教授が集中講義に来た。それに出席して講義だけ聴けば、単位をくれたのだそうである。のんびりした良い時代だ。
それでいて、卒業の2,3年後に得体のしれないことをやっている(つまり「まとも」な会社に就職していない画伯を心配して先生が訪ねてきて、就職を世話しようとしたらしい。ますます良い時代だ。
画伯は私より15年先輩だ。
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2019年9月5日木曜日
「85歳記念 赤木曠児郎展 」に行ってきた
読書はお休みして久しぶりに都心に出かけることにした。展覧会と、国会図書館と、本の購入が目的だ。
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最大の目的は日本橋三越6Fのギャラリーでやっている「85歳記念 赤木曠児郎展 」の観覧。10時に家を出た。涼しいはずだったが、少し蒸し暑い。用心して弱冷房車に乗ったらかなり暑かった。
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赤木さんの展覧会に来るのはは前回2016年9月26日以来だ。途中、2017年11月13日に恵比寿の日仏会館で講演を聞かせていただいた。この講演で赤木さんの波乱に富んだ経歴がわかり、一層彼の絵が好きになった。85歳の今も元気で絵を書き続けておられるのもスゴイ。今日もお見受けした所、膚の色艶は私よりずっといい。パリの街角でスケッチを良くしているせいだろう。
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金欠症なので、今日は画集とかカタログは買えないと思い、講演会で頂いてサインを貰ってない本を持参した。『私のファッション屋時代』の仏訳版。ところが、それにサインしていただいた後に、なんと、『アカギの版画パリ百景』もわざわざ持ってきていただき、それにもサインをされはじめた。金がないのにやばいなあ、まあカードで払えばいいか(実は良くないが…)と考えていたら、これは私にくださるとおっしゃる…。ありがたく頂いた。
以前の新書版の『アカギの版画パリ百景』は持っているが、今回のは大判でカラー図版だ。価格は45€と書いてある。嬉しい。
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一時間くらい滞在したので、画伯に握手していただいて退去した。また、3年後くらいに展覧会はあるのだろうか。あってほしい。
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「ねている」という題名の裸婦の絵があり、その絵の右上に本物か置物かわからない猫が描いてある。その猫の背景の紫がかった色に惹かれた。昔見た国吉康雄の少年の絵の背景の青に通じるものがある。吸い込まれそうだ。
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2020年11月28日土曜日赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう)先生が、夜9時からのTBSテレビの番組『世界ふしぎ発見!』に少し出演された。短いインタビューで、内容は乏しかったけれど、週5日も街角で絵を書くなど、お元気な姿を見ることができて嬉しかった。コロナ禍のパリ、気をつけていただきたいものだ。
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本日昼から、全豪オープンテニス、準決勝を生中継で観る。大坂なおみさんとセリーナ・ウィリアムスさんの準決勝だ。最初、セリーナのパワーが上回り、なおみ危うしと思ったが、すぐ盛り返した。落ち着いた試合ぶりでその後はセリーナのパワーを上手くかわし、結局ストレートで勝利。前回の全豪オープンの試合よりも数段試合運びが洗練されていた。このまま行けば「名選手」と呼ばれることになるだろう。おめでとう。
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本日夜9時、お仏壇が届いた。本体の設置床面積は0.5㎡くらいだが、重量は100キロくらいありそうだ。運送屋さんが「こんな重い仏壇は初めてです。」とぼやく。20年ほどしか経っていないのだが。田舎の仏壇は大きい。使われている木材も重量級のようだ。あとで、材質を調べてみたい。付属品や経机のダンボールも3箱届き、部屋が一挙に狭くなった。そのせいでJが不機嫌。明日からまた片付けが続く。「終活はつらいよ」だ。
かろうじて寝る場所を確保し、搬入路を空けるために動かした荷物を戻し、外した手すりを取り付けたら翌日になった。
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