2019年12月3日火曜日

林忠正や西園寺公望がパリで何を考えていたかを推測するのはオモシロイ

『海を渡る浮世絵 −林忠正の生涯−』を読んでいると、他の(参考)書も読みたくなってくる。

たとえば、『パリの日本人』(鹿島茂 2009年 新潮社)。もちろん、「日本美術の大恩人・林忠正」の章を読むために、借りたのだが、「明治の元勲・西園寺公望」も、いや、こちらのほうが面白くなってくる。明治三年(1870年)から、明治十三年(1880年)まで、10年に渡りフランスに留学して、バカレロアに合格して、学位こそ取れなかったがパリ大学法学部(いわゆるソルボンヌ)で学んだ。法学士の試験では惜しくも二次試験で落ちたのだそうだ。
最近の政治家によくある、留学してXX大学で学び学位取得(学歴差詐称でないにしても)という人よりはずっと「教養」があったのだろう。

国会図書館デジタルを検索してみると、『陶庵日記』をはじめ、西園寺関連の書籍・文章はたくさん出てくる。
たとえば、これ、『西園寺公と湖南先生』、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219634/58



この西園寺と林忠正は親しかった。


そして、『ゴンクールの日記』(斎藤一郎編訳 2010年 岩波文庫)をみると、随所に林忠正の、そしてすこしだけ西園寺公望の記述がある。


林忠正や西園寺公望にとって、フランスは先進的な科学技術だけでなく、その文化を含めて学ぶ対象だった。そして文化を学ぶには、日本の伝統文化と比較対照するという、優れた手段が使えたのは幸せだったろう。

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