2017年12月13日水曜日

酔生夢死でも、いいじゃないの幸せならば♪

 桜の木の最後の葉かとおもいきや、寄生している蔦の紅葉。


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 「雲の宴」を読み終わったので、同じ辻先生の「風雅集」(1998年 世界文化社)にとりかかる。随筆集。日本の風土の中で味わった幸福なため息のようなものと著者があとがきで述べている。



 昨日の命題「永井荷風と辻邦生の比較」を、両者の帰国後の日本文化のとらえかたで考えようというわけです。

 でも読んでいると俗人の悲しさで、読書の目的以外のいろいろな妄想的連想が湧く。

 萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」が引用されていると、そちらを読みに行かざるを得ない。これ、なかなか面白い。すると、萩原朔太郎の散文をいろいろ読んでみようかと調べだす。





 この衝動を押さえて、「風雅集」を読み進めると、瀧澤敬一の「フランス通信」という本のことが出てくる。これも読みたいので、国会図書館で検索すると、ない。そのかわりに辰野隆の「印象と追憶」という本が検索でヒットする。すると、辰野隆を読み始める。途中で「続フランス通信」のことが出てくる。



 これを連想とは言わないかも知れないが…

 今朝の夢の記録は取らなかった。しかし、夢を見、その夢に関連することをまた夢見ているらしいのが、いままでメモを書いてみてわかった。これは日中に何かを考え、それに関連したことを思い浮かべることに似ている。似ているというより、まさに同じ動きを脳内の「回路」が行っていると思える。

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 酔生夢死。


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