2019年8月4日日曜日

OLD REVIEWS試作版第二十二弾‥『優しき歌』(立原道造)の後記(堀辰雄)

後記

故立原道造が生前に自ら編んだ詩集は
「萱草に寄す」風信子叢書第壹編、自家版、昭和十二年五月刊
「曉と夕の詩」風信子叢書第貳編、四季社版、昭和十二年十二月刊
以上の二卷である。その後、立原はおなじ「風信子叢書の一つとして「優しき歌」なる表題の下に、それに次ぐべき詩集を構想してゐた。

昭和十三年の夏のをはり頃、中村眞一郎君が信濃追分において、立原がそのとき編みつつあつたその詩集の原稿を見せて貰つたといふことである。そして中村君はその作品のすべてをよく覺えてゐた。果してそれをもつて「優しき歌」の完成せる形となすべきかどうかは、いささか問題がなくもない。が、立原は一應さういふ形でその詩集をまとめた上、まだそれにはすつかり滿足出來ず、いろいろと迷つてゐたらしく見える。

しかし、ともかくもさうやつて編み了へられてあつたその通りの形に、いま、その詩集を構成して見ることも、きはめて意味深いこ
とと考へ、本書には特に「優しき歌」をかうした形にして前の二詩集と共に竝べるて載せることにした。

「本書の第二部(Ⅱ)をなす諸詩篇は、昭和十一年から十三年の間に、上の三詩集とほぼ竝行して書かれ、そしてそれらの詩集に收められなかつた作品の全部である。「みまかれる美しきひとに」以前の作品は、初期の詩として別に一册の小詩集を編みたい考へである。

第三部(Ⅲ)に收めたものは、立原が生前に發表せずにしまつた、いはば未定稿ともいふべきものである。

「補遺として「黄督に」及び「ひとり林に‥‥」の二篇を加へておいた。前者は「優しき歌」の第二番の「落葉林で」の別稿であり、又、後者は第二部のなかの「眞冬のかたみに」の原形であると見なされる。


本書の編輯には、野村英夫君、小山正孝君、及び中村眞一郎君に協力していただいた。はじめは選集をつくるつもりで、野村君たちに托してその仕事にとりかかつて貫つてゐたが、立原の數多くもない詩のうちから特にこれを取り、これを捨てるといふことのいかに難しいかが分かり、遂󠄂に初期の詩を全部除いて、後期の作品を主とすることにしたのである。

本書の表題も、さういふ意向の下に、「優しき歌」といふのを選んだ。

昭和二十一年十一月十日
堀辰雄

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出典:『優しき歌 : 詩集』(立原道造)昭和22年 角川書店 (国会図書館デジタルコレクション)



注 立原道造は昭和14年没。堀辰雄は昭和28年没。

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