2017年4月11日火曜日

梵語の泰斗、榊亮三郎教授のご尊顔を拝したいのですが

 松本清張の『密教の水源をみる』を読んでいると、榊亮三郎という方の『大師の時代』が引用されている。青空文庫で眺めてみるとなかなか面白い。

 青空文庫の書誌事項で
 「底本:「大師の時代」宗祖降誕会本部 1913(大正2)年8月25日発行」
 となっているので随分古い本らしい。榊さんがどこかで講演したときの速記録のようだ。その中の記述。

 「文部省の留學生となつて、佛國巴里に赴き、前後二年滯在して居つたときは、殊に、此の感が深かつた、「プラース、ド、ラ、コンコード」の廣塲から「ジヤンゼリゼー」の廣衢が、「ナポレオン」の建てた凱旋門を貫きて、「ブーローンヌ」の林につらなつてあるが、そこを午後三時から、夜にかけて輕車肥馬の來往が、織るがやうで、夜に入ると、車につけた燈火が、旁午入り亂れて、流星の亂れ飛ぶかと怪まるゝさまであつて、東海の一遊士たる自分は、此の光景を見るたび毎に、大師の長安に居られた時は、長安の大道は、坦として砥のごとく、佳人才子が、銀鞍白馬春風を渡つて、慈恩寺の塔の邊に行樂したさまは、かゝるものであつたらうと感じ…」

 と、随分入れ込んでいる。これを読むとたしかに空海も人の子だし、都会のロマンを感じていただろうなと同感する。

 この、榊さん、どうも大学教授らしいが、経歴がよくわからない。ググってみると息子さんやお孫さんは学者だったりして、しかも電子顕微鏡にも関連していて面白いのだが、ご本人の記述があまりない。謎だ、もう寝よう…

 今朝、思いついてGoogle Scholarで引いてみるとある記事が見つかった。「學苑」という昭和女子大学光葉会 [編]の雑誌記事。「博言学」って単語ははじめて見た(*^^*)

これによると
 「榊亮三郎は和歌山出身で、明治25年に東京帝国大学博言学科に入った。」とある。要するにサンスクリットをやった、後には京都帝国大学での博言学科開設時に立ち会い、パリにも留学したようだ。その後同大学教授。学識豊かで厳しく学生指導も行ったそうだ。

 桑原武夫さんによると顔がすごく怖かった。ともある。『榊亮三郎論集』とやらに顔写真が載っているそうだ。買おうかな? 
 国会図書館デジタルライブラリに『梵語学』がある。これは覗いてみよう。

 ま、あまり長くないので『大師の時代』をさっさと読み、松本清張「刑事」のやや不機嫌そうにも思えてしまう報告『密教の水源をみる』の写真を見て、本文を斜め読みするほうが先ですね。

 で、空海さんには夢ででも会って、長安の感想を聞きたい。夢枕獏さんの空海文庫本は安かったので第一巻を注文しておいた。

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