2017年9月8日金曜日

「転回点ーマン家の人々」、いよいよナチスの手を逃れて亡命


 クラウスとエーリカはアジア大陸に向かったが、北京は政情不安なのでパスし満州を経由してシベリア鉄道でモスクワに向かう。長いシベリア鉄道の旅の途中また金欠になり、餓えと渇きに苦しむが、また親切な人の援助をうけてなんとか辿り着く。実は魔法使い(トーマス・マン)の友人だったらしい。

 ミュンヘンに帰ると、駅まで魔法使いも迎えに出てくれた。朝の11時、仕事時間なのに、珍しい。

 トーマス・マンがノーベル賞を受賞し、生活は格段に楽になった。しかし、ドイツ国内での出版活動はできなくなった。

 1928年以降、二人はヨーロッパを遍歴しながら文学や演劇活動に身を入れる。もちろん、ファシズムへの批判活動を行いながら。このことによりナチスから睨まれた。

 1932年にミュンヘンのカールトン喫茶店でヒトラーが高価な苺ショートケーキを何個も貪り食べるのを目撃した。醜悪だった。

 その翌年、マン家の運転手(実はナチスの手先=スパイ)からの、警告を受け、二人はミュンヘンを飛び出す。翌年、ナチスはマン家の人々の国籍を剥奪した。トーマス・マンはスイスに居を構える。ミュンヘンから何とかして書斎の家具や書籍と資料の一部、そして原稿も持ち出した。

 苦しい亡命生活が続く。その中で、他の文学者たちと交流し、ナチスに対する批判活動はやめない。アプレなクラウスもこの生活の中で鍛えられていく。ホテルで執筆するときは、持参の絵をかざり、本を並べ、愛用のタイプライターをセットして、文学的雰囲気を演出した上で、執筆に勤しむ。

 1936年、ファシズムへの反対活動の一環で、また二人はルーズベルトの国を訪れる。これは、後に魔法使いも米国に渡るための布石となった。

 600ページのうち、400ページまで来ました。この本は、同じクラウスという名前の従兄弟、クラウス・プリングスハイム・Jrの本(以前このブログでも紹介した、「Man of the World」)よりは格段に質が高い。

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 昼にスパゲッティーを料理していたら、盛りつけ中に手が滑って、フライパンを床に落としてしまった。これも老化現象の一端かなとがっくり。左手には力が入りにくいので気をつけなくては。鍛えたほうがいいかもしれない。

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