2019年10月2日水曜日

『かぼちゃと風船画伯』を読むと内田百閒の谷中安規への好意をせつないほど感じる

『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』は一応読了。

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まだ、腹が本調子でなく疲れ気味なので、吉田健一攻略は脇において、『かぼちゃと風船画伯』(吉田和正 1998年 読売新聞社)を読むことにする。(ここは、吉田健一の影響で、現在形を使いたい。)
副題が「愛と幻想の版画家・谷中安規の生と死と」となっている、これを見るとあまり知られていない版画家の紹介を編集者は狙ったのだろう。こちらは、内田百閒先生の愛読者なので、名前と画業のいくばくかは知っていた。そして、内田百閒先生の描く風船画伯は、春風駘蕩だったが、この本を読むとその印象が、暗い方に傾いていく。とにかく貧乏。内田百閒の比ではない。
128頁。新聞連載の『居候匆々』の画料は10回分50円。谷中安規の当時の極貧な生活費は8円弱なので、これは7ヶ月分。貯金すればいいのに、タクシーを乗り回し、風呂に行き、喫茶店でウェートレスにソーダ水をおごる。将来に備えるなどという俗な概念は風船画伯には皆無。やっと、ありついた仕事なのに連載をしていた時事新報が潰れてしまい、36回で終了となってしまった。

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谷中安規の版画は内田百閒の著書によく使われている。前から好きだったが、今回それが「大好き」に変わった。どこかで原画を見たい。

1946年に栄養失調で亡くなってしまうが、内田百閒がいなかったら、もっと早く体を壊しただろうと思う。



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関西電力の高浜原発がらみの献金問題。深い闇が隠れていそうで怖い。

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