2020年4月12日日曜日

『隠者の文学―苦悶する美―』(石田義貞)は今読むのがふさわしい

『隠者の文学―苦悶する美―』(石田義貞 1968年 塙新書)を読み始めた。面白くなり、半分以上(144頁まで)進んだ。


上はいま手に入りやすいと思える講談社学術文庫版の書影。

私が購入したのはこれ。

https://www.amazon.co.jp/dp/B000JA57QS/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_RtPKEb4RNKT43

この本は、昨年秋ALL REVIEWSのオフ会で神保町に行った時、どこかの古本店頭の均一本棚で買ったと思う。
石田義貞の経歴がすごい。1890年生まれ。苦学したあと、かなり高年齢になってから昭和女子大教授になった。

中世隠者が多く登場する。隠者のおこないのうち、美の追求を伴うのが隠遁であると、石田義貞は書いている(ようだ)。隠居老人を目指す私には良い行動の指針だ。したがってメモをとって勉強してみることにした。

隠遁を考えるための「参考書」がたくさん例示される。たとえば……

10頁。『撰集抄』。人間を捨て、結果として号泣に満ちているのだと。当初、西行の自作と思われていたが、後には西行を仮託した作品だと言われているらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%B0%E9%9B%86%E6%8A%84

なお、同じ10頁にマックス・プランクが量子論を考える上で「人間離脱」(つまり常識からの離脱)が必要だと述べているということを挙げている……(*^^*)。



18頁。「隠者ということばの使用範囲」は以下のとおりだそうだ。なかなか好ましい分類。
A類。世間を捨てて仏教信仰にはいる。
(1)聖(ひじり)
(2)隠遁者
(3)俗に近い遁世者
B類。正業をすてて芸道にかくれ、または自由の逸民となるもの。
(1)主として芸道にかくれる
(2)世のすねもの、あぶれもの、遊び人、やくざ、博奕打、河原者等

Aの例。
19頁。『源家長日記』の慈円の項。僧侶もさらに隠遁。
西行のことば「すてたれどかくれて住まぬ人になればなほ世にあるに似たるなりけり」つまり隠れることが必須条件だ。

『徒然草』の「京に具覚坊とてなまめきたる」遁世者。「信濃前司行長」。

Bの例。
20頁。同朋衆。連歌師。茶人。西鶴の『近世優隠者』のやくざ、遊びにん。



隠者文学。(21頁)
広義の隠者文学:広範、折口信夫は中世文学すべてを隠者文学と考えた。『女房文学から隠者文学へ』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card46958.html

22頁。狭義の隠者文学は隠遁詩人によるもの。「隠の生命がみずからを表現した文学」。その三様式は……
(1)西行様式。対象は大自然・万有・存在。
これはその後、隠者文学芸道の主流として継承される。
(2)長明様式。対象は自己の生活。
心敬の『ひとりごと』、宗長の『宇津山記』、芭蕉の『幻住庵記』・『嵯峨日記』に継承される。
(3)兼好様式。対象は人間生活。
ほとんど継承されていない。

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