2018年5月14日月曜日

「したくないことはしない」生活は、できそうでできない

 鳳凰を思わせる雲が、夕方の西空に。まだお迎えではないと思う。



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 「したくないことはしない 植草甚一の青春」を読み終えた。

 「青春」についてだが、植草さんは死ぬまで「青春」。もっと言うと「子供」。つねに自分にとってだけ興味のある、目新しいことを追い求めた人生だった。

 一高受験に挫折し、早稲田大学で建築を学ぶも、退学。この挫折感は長くつきまとう。入試の準備ができていないまま、試験の朝を迎えるという悪夢をずっとみたという。身につまされる話しだ。私も、試験のあることを知らないで(ずっとサボっていたから)久しぶりに行ったら試験をされて、落第したことを、今でも夢に見る。

 映画にせよ、翻訳小説にせよ、植草さんの選ぶものはエキセントリック過ぎて、さっぱり「売れない」。

 貧乏暮らしながら、本やレコードには金を払う。後先を考えない。奥様に怒られる… 人を夕食に招いて出したのがコロッケ一個…これも他人事とは思えない。

 買い集めた本は、植草さんが亡くなられた後、大部分散逸する。著者の津野海太郎さんは、これはこれで仕方ないと言う。雑本が多いし、本人がなくなってしまったら、その本の集積には意味がないと。

 ところで、植草さんつながりで片岡義男さんの「ロンサム・カウボーイ」を読みたくなったが図書館にはない。仕方ないので、創刊号から2・3年分(植草さんが名誉編集長時代の号)の「ワンダーランド(宝島)」誌の詰まった、ダンボールを掘り出すことに決める。「ロンサム・カウボーイ」はこれに連載されていた。

 「ワンダーランド(宝島)」誌は、わざとだが、紙質が悪く活字も新聞用で視認性は悪いが、仕方ありません。

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 戦前に「銀ブラ」をしていた植草さんは、戦後も決して早足では歩かなかった。銀ブラを喜び、そこに西洋を感じる話は、吉田健一の「東京の昔」にも出てくる。少し、羨ましい。
 
 「東京の昔」は幸い枕元の小さな本棚に置いてあった。

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 もうすぐ、植草さんの亡くなった年齢に追いついてしまう。少し心波立つ夜。

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P.S.昨夜のテレビ観て、この本予約した私はミーハー?

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