2019年3月24日日曜日

OLD REVIEWS試作版第六弾…永井荷風氏の「紅茶の後」(安倍能成)

永井荷風氏の「紅茶の後」(安倍能成)

三田文學を手にした時には、いつも先づ荷風氏の「紅茶の後」を讀むのが常であつた。今度一册に纒められた「紅茶の後」には、雜誌にはその名で出なかつた者も四五篇あるが、大方は皆一度讀んだ者ばかりである。それで居てやッぱり繰返して讀むだけの興味を感じさせる。材料が肩のこらぬ者だからでもあるけれど、氏の文章と見方とが人を引付けるによるのだと思ふ。

この書を讀んでも先づ感じたことは、荷風氏が詩人だといふことである。――荷風氏自身も詩人を以て任じては居るが――荷風氏の觀察も批評も詩人の觀察批評である。そしてそれを裏付けて居る者は、常に咏歎と哀愁の調子である。叙情詩的な氣分である。氏を以て藝術的天分の高い人と言へなくても、藝術的氣分のたつぷりある人だとは言ふことが出來る。

「新歸朝者の日記」などには、西洋文明の崇拜と共に、我國の文明の呪詛が大分烈しかつたが、この頃は大分あきらめの氣分が勝つて來て、現代の日本に對する不滿足を主として過去殊に江戸時代の爛熟した文朋の追慕に慰めて居る。現代に對する嫌惡と不滿とは、氏を驅って、過去を理想化し美化し詩化し誇張して、その憧憬に殆ど全心のやるせなさを託するまでにさして居る。この點に於て氏は明かにロマンチストであるけれども、そのローマンスは常に前になくて後にある。氏の文章の底には常に「昔を今になすよしもがな」とかこつ哀調が流れて居る。氏のあこがれの對象は、新しい未見の人生でなく、知らざる神でなく、寧ろ理想化された過去の傳説歴史である。氏は決して人生の曙を仰望する革命の詩人ではなくて、西に入る夕日の影を惜む追懷の詩人である。だから自由と放縱を願ふ心も嵐の樣に吹き荒れずに、末は一種のあきらめに收められてひそやかにさびしい心持を樂む樣になる。犬の樣に吼えずに秋の蟲の樣に喞ちたいとは、氏の僞らざる願であらう。氏は急進突飛の人でなく寧ろ保守溫和な點を備へて居る。靈廟の美を讃へては過去を重んぜよといひ、老い衰へた昔の巴里人ベルナールの貴族的靜肅を喜んで居るのにもそれは分る。かくて進取と新興とを厭つて靜止と滿足と衰頽とを喜ぶ心は、氏を一種の溫和なデカダンとした。氏の人生には未來がない、峻險を凌いで前へ進まうとする雄々しさがない。絶望的の態度にしても倦怠の氣分にしても、やつぱり極端に徹し得ない我が民族の程のよさを分有して居る。氏の書いた者をよんで物の底に衝き當たった樣な痛快は得られない。この點に於て氏はやつぱり一種の都會人なのであらう。都會人に對する物足らなさはやッぱり氏にも備はつて居る。故の樗牛氏なぞは晩年に美的生活論を唱へたり、平家の滅亡を讚美したりしたが、永井氏に比べると男性的な田舍者らしい骨の固い所が取れなかつた。然しその心持に於ては到底永井氏の比較的純粹なのに如かなかつた。永井氏は都會人の複雜した精鍊された趣味を解する人であらうが、其心持は割合にオツトリとして純一に近い所がある。殊に自分の心持好く思ふのは氏の世間の野心功名を賤しむ一種の貴族的な上品な點である。氏の言説にはーつも自ら爲めにする樣な陋劣な分子が見えない。それから又人前に自分の氣分を僞り裝ふといふ所がない。この點は一晩の内に新しい果實から餒えた果實に早變りする忙はしい現代の文學者に乏しい所である。

氏が自分の趣味を持って居ることは、例へば默阿彌の白浪物の美點を認めた鮎や、又徳川時代の戲作者に對して同情ある見方をして居る點などにも見える。こんな見方に贊成するといふのではない、唯だ氏の世俗に雷同せぬことを喜ぶのである。

自分は「紅茶の後」に表はれた氏一流の文明批評ともいふべき者を興味を以て讀んだ。氏の文明批評にはやッぱり不秩序無禮儀亂雜殺風景なミリタリズムの成金的現代を歎き、秩序と禮儀との整つた純粹な江戸時代を慕ふ心が到る處に見える。芝の靈廟の中から、玉垣の外なる明治時代の亂雜と玉垣の中なる秩序の世界とを思ふ感慨は、氏の文明批評の基調をなして居る。氏一流の觀察には時々頗る穿つたと思ふ者もある。徳川の三味線藝術を以て最も不自然な人工の極に達した不健全の藝術と見る如きは、恐らく多くの人の首肯する處だらうと思ふが、其外にも我國に於て常にどの時代にも外國崇拜の絶えなかつたといふ觀察の如き、又日本人には西洋人が黄禍論を唱へる以上に強い排他思想があるといふ觀察の如き、其の儘には承認せられないにしても、兎に角問題とするに足る所の示唆であるといつてよい。自分は中にも「銀座界隈」の一篇に、動いて居る現代生活や文明の中に、「淋しい心を漂はせて」一流の觀察眼を放つて居る荷風氏を見得たことを喜ぶ。「蟲干」の中に見えた明治初代の文明に對する觀察も、同情のある面自い觀察であつた。

氏の感覺は別に新しいとも鋭いとも思はない。然し和かで暖かである。これは氏の文章に一種のチヤームを與へる原因であらう。氏の文章を一言に評すれぱ、和かで華やかな文章といふべきであらう。氏は序文の中に自分で、魚河岸の阿兄の樣に氣の利いたことを言へるか言へないかゞ關心の問題だといつて居る。氏の文章は固より氣の利かない者ではない。然し氏の文章には寧ろ程がよくて穩やかなオツトリした若旦那らしい所の方が多い。序文の意味がさうだといふのではないが、向ふいきの強い魚河岸の阿兄に擬することは、寧ろ柄にないことゝいつてよからう。
氏の文章で思出したのは六七年前に讀んだ中野逍遙氏の「逍遙遺稿」である。逍遙氏の漢詩や漢文には、普通の漢詩人に無い華やかな自由な處があつた。これは固より逍遙氏の詩人的性格になることだけれども、其後逍遙氏が支那小説や脚本を耽讀した人だといふこを聽いて、スタイルの方では定めて其邊の影響が多かつたことゝ獨りぎめに首肯いた。荷風氏の文章は決して無傳統な新しい文章ではない。恐らく氏の文章には江戸時代から明治へかけての戲作者の文章や漢文漢詩の素養があるのだらうと思はれる。何事にも蕪雜を厭ふ氏の文章には、老手の腕の冴えはまだないけれども、頗る整つて居る。從って又大膽な突飛な表出法が少い。比較的多く使はれてる漢字の使方にも、靑年文學者中の華やかな文字を好んで使ふ人の樣な不妥當な所が見えない。歐文脈もあまり露骨に調和を破る樣には挿まれてない。しかし自分は「浮世繪」の樣な文章は好まない。

氏の文章は他面に於て又素人好きのする、そして比較的模し易い文章である。自分は氏の模倣者の生煮えの咏歎を得意がつたり、半可通の都會趣味を鼻の先きにぶらさげないことを望む。(一九一二、一)

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出典 『予の世界』 安倍能成 大正2年 東亜堂書房

国会図書館デジタルコレクション
(下の画像も)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951786

あとがき
『紅茶の後』(永井荷風)も国会図書館デジタルコレクションで読める。「三田文學」の連載を元に一冊にまとめたものらしい。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/889041


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