2019年3月11日月曜日

OLD REVIEWS試作版第二弾:「羅生門の後に」(芥川龍之介)

「羅生門の後に」  芥川龍之介

この集にはいつてゐる短篇は、「羅生門」「貉」「忠義」を除いて、大抵過去一年間――數え年にして、自分が二十五歳の時に書いたものである。さうして半は、自分たちが經營してゐる雜誌「新思潮」に、一度揭載されたものである。

この期間の自分は東京帝國文科大學の怠惰なる學生であつた。講義は一週間に六七時間しか、聽きに行かない。試驗は何時も、甚だ曖昧な答案を書いて通過する。卒業論文の如きは、一週間で匆忙の中に作成した。その自分がこれらの餘戲に耽り乍ら、とにかく卒業する事の出來たのは、一に同大學教授の雅量に負ふ所が少くない。唯偏狹なる自分が衷心から其雅量に感謝する事の出來ないのは、遺憾である。

自分は「羅生門」以前にも、幾つかの短篇を書いてゐた。恐らく未完成の作をも加へたら、この集に入れたものの二倍には、上つてゐた事であらう。當時、發表する意志も、發表する機關もなかつた自分は、作家と讀者と批評家とを一身に兼ねて、それで格別不滿にも思はなかつた。尤も、途中で三代目の「新思潮」の同人になつて、短篇を一つ發表した事がある。が、間もなく「新思潮」が廢刊すると共に、自分は又元の通り文壇とは緣のない人間になつてしまつた。

それが彼是一年ばかり續く中に、一度「帝國文學」の新年號へ原稿を持ちこんで、返された覺えがあるが、間もなく二度目のがやつと同じ雜誌で活字になり、三度目のが又、半年ばかり經って、どうにか日の目を見るやうな運びになつた。その三度目が、この中に入れた「羅生門」である。その發表後間もなく、自分は人傳に加藤武雄君が、自分の小説を讀んだと云ふ事を聞いた。 斷つて置くが、讀んだと云ふ事を聞いたので、褒めたと云ふ事を開いたのではない、けれども自分はそれだけで滿足であつた。これが、自分の小説も友人以外に讀者がある、さうして又同時に あり得ると云ふ事を知つた始めである。

次いで、四代目の「新思潮」が久米、松岡、菊池、成瀬、自分の五人の手で、發刊された。さうして、その初號に載つた「鼻」を、夏目先生に、手紙で褒めて頂いた。これが、自分の小説を友人以外の人に批評された、さうして又同時に、褒めて貰つた始めである。

 爾來程なく、鈴木三重吉氏の推薦によつて「芋粥」を「新小説」に發表したが、「新思潮」以外の維誌に寄稿したのは、寧ろ「希望」に掃げられた、「虱」を以て始めとするのである。

自分が、以上の事をこの集の後に記したのは、これらの作品を書いた時の自分を幾分でも自分に記念したかつたからに外ならない。自分の創作に對する所見、態度の如きは、自ら他に發表する機曾があるであらう。唯、自分は近来ますます自分らしい道を、自分らしく歩くことによつてのみ、多少なりとも成長し得る事を感じてゐる。從つて、屢々自分の頂戴する新理智派と云ひ、 新技巧派と云ふ名稱の如きは、何れも自分にとつては寧ろ迷惑な貼札たるに過ぎない。それらの名稱によつて概括される程、自分の作品の特色が鮮明で單純だとは、到底自信する勇氣がないからである。

最後に自分は、常に自分を刺戟し鼓舞してくれる「新思潮」の同人に對して、改めて感謝の意を表したいと思ふ。この集の如きも、或は諸君の名によつて――同人の一人の著作として、覺束ない存在を未來に保つやうなことがあるかも知れない。さうなれば勿論自分は滿足である。が、さうならなくとも、亦必ずしも滿足でないことはない。敢て同人に語を寄せる所以である。

 大正五年六月

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 <出典> 
羅生門:外一二篇』(160ページ〜) 昭和8年 新潮文庫 (この文章はこの本の巻末の著者による「あとがき」的なもの)
 …「国立国会図書館デジタルコレクションより」 下の画像も。




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あとがき(私の)

今日の発見:
国会図書館デジタルの画像は、コントラストや輝度、ガンマ値を変更できる。うまく調整するとOCRソフトでの文字認識精度があがる。

この文章は、春陽堂版の「芥川龍之介全集2」には新字新かなで収録されている。

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