2019年3月5日火曜日

OLD REVIEWS試作版第一弾:「巴里にてのツルゲーネフと島崎藤村」(正宗白鳥)

「巴里にてのツルゲーネフと島崎藤村」 正宗白鳥 

私は永井荷風氏の「ふらんす物語」と、島崎藤村氏の「エトランゼエ」とは、幾度も通讀してゐる。どちらも二三十年前の書物だが、日本の文學者の歐洲印象記で、これ以上に味はひのあるものは私にはまだ見當らないのである。異郷生活の淋しさに震へてるる藤村氏と、青春の夢を恣まゝにして異郷の美しさに陶醉してゐる荷風氏と、兩者趣きを異にしてゐるが、どちらの心境も私には面白い。

ところで、荷風氏は、「自分には巴里で死んだハイネやツルゲーネフやショパンなどの身の上が不幸であつたとはどうしても思へない」と云ひ、彼等がこの藝術の都に生を終るまで滯在してゐられたことを、早くも巴里に別れを告げねばならぬ氏自身の境遇に引き比べて羨んでゐる。これも詩人の空想として面白いのだが、實際に卽して考へると、ハイネその他の異國人のフランスに於ける生活がそんなに樂しかつたであらうか。私にはさうは思はれない。ツルゲーネフがフランスの知友に與えた書翰を、かつて讀んだことがあつたが、他國人としての氣兼ねがそこに現はれてゐた。死後に編纂されたその書翰集の英譯本のうちの解説に、彼の知友であつた、或フランス文學者が、死後發表の書翰を讀んで、ツルゲーネフに對して氣まづい思ひをした次第が書いてあつた。生前のツルゲーネフは、他國人として、あれやこれやの知人に對しうまく調子を合せてゐたのであらう。安倍仲麻呂だつて唐の詩人墨客と親しんでゐるうちにも氣骨が折れたことであらう。

私は、この頃、ツルゲーネフの散文詩を新たに讀直して、感に打たれてゐるが、それにつけて、彼の巴里に於ける晩年の生活の、いかに淋しく、いかに痛ましかつたかを想像してゐる。私などは若い時分に、この散文詩を上の空で讀んでゐたが、今讀むとこの作者の死を前にした暗澹たる心境に歎息されるのである。人生絶望の賦と云つてもいゝこんな作品も、異郷孤獨の生活から産み出されたのではないかと、私には想像される。ツルゲーネフは、あまつたれた素質をもつた作家らしいが、晩年の心境を詠じた幾十種の散文詩は峻嚴である。日本の或古文人の作品に見られるやうな風流で緩和されたところなんか全く無いと云つていゝ。アルプスの絶頂の山と山との對話の如きは、峻嚴冷徹であつて、國木田獨歩は北海道旅行を材料とした小品のなかに、その散文詩の一二句を巧みに借用してゐるが、獨歩の文章のなかでは、それ等の詞句の働きが弱小である。むしろ感傷的な味はひを 持つてゐるに過ぎない。

藤村氏の「エトランゼエ」は、氏の海外旅行の動機によるのか、はじめから淋しさうであるが、その淋しさが月日のたつにつれて次第に深まつて、最後に「幻影」の生みだされたことに、私は興味を覺えるのである。氏もツルゲーネフの如くあまつたれた素質を有つた詩人であるが、華美な都會巴里に於て、極端な暗澹たる氣持に捉へられたことがあるのだ。芭蕉信仰の藤村氏は、「さびしさに居るものはさびしさを主とす」などと云つてゐるが、巴里に於ける氏の淋しさは、芭蕉のやうな生やさしい風雅なものではなかつたらしい。

「慰め難い無聊と、信じ難いほどの無刺戟とから、私は全く外界に縁故もなければ關係も ない自分を見つけることがあつた。‥‥さういふ私の側へは、あのエトランゼエがやつて來てゐた、否でも應でも私はその話し相手に成らねばならないやうな氣がした」と云つて その有樣を叙してゐるが、私にはそれが笑ひ事とは思はれない。そのエトランゼエは、現實の形を具へた人間ではない。影法師のやうなものだ。「外からこつそりやつて來るものゝやうでもあり、かうした長い旅の途中に隱れ潜んでゐたものゝやうでもあり、私がエトランゼエを迎へ入れる心持は一寸説明することが出來なかつた。ただ感ずることが出來た。あたかも暗夜の實在を感じ得られても、それを説明することの出來ないのに似てゐた」と作者は云つてゐる。街上を散歩して何かを見て感じたりすると、早く、下宿へ歸つて、そこに自分を待つてゐる筈の例のエトランゼエすなはち影法師にその感じを話したい氣持になるのだ。ツルゲーネフの散文詩になりさうな心境であり場景である。

藤村氏は詩人である。「エトランゼエ」のうちには、フランス旅行者たるいろいろな日本人が注意深い筆で描かれてゐるが、人聞描寫はさう巧みであるとは思はれない。事に觸れて異郷生活の淋しさに襲はれ續ける有様を私はこの一篇の藝術的生命として認めてゐる。

しかし、中年期に異郷で「幻影」と淋しく暮してゐた藤村氏は、老來却つて、その暗澹たる境地を脱して、平明なる藝術に刻苦してそこに安んじてゐるやうになつた。日本の詩人である藤村氏が、つまりは、ツルゲーネフの散文詩のやうなものを綴らないのは、當然であると云ふべきか。

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 <出典> 
『文壇的自敍傳』(110ページ〜) 昭和13年 中央公論社 …「国立国会図書館デジタルコレクションより」 下の画像も。



<参考> 読者の便宜のため、国会図書館デジタルへのリンクをはってあるが、必ずしも正宗白鳥の読んだ書籍とはかぎらない。
「異邦人:別名エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「新編ふらんす物語」(永井荷風)

Amazon書誌情報へのリンク。2019年3月5日現在。
「エトランゼエ」(島崎藤村)
「散文詩」(ツルゲーネフ)
「ふらんす物語」(永井荷風

あとがき
ここを使うともっと検索がはかどるかも知れません。国会図書館だけでなく全国の公共の図書館もサーチできるそうです。「国立国会図書館サーチ」(NDL Search)

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