2019年5月14日火曜日

「文学論」学習開始、その前の予習と『ふたつのオリンピック』読書で時間がすぎる

小宮豊隆 「文學論」からの抜粋

***
 
序文にもあるやうに、漱石の「文學論」の根本問題とする所は、「心理的に文學は如何なる必要あって、此世に生れ、發達し、頽廢するか……社會的に文學は如何なる必要あって、存在し、隆興し衰滅するか」を明らかにする點にあつた。然しこの『文學論』では、それよりも文藝を旣に與へられたものと見て、それをどうすれば有力に運用する事が出來るかの問題が取り扱はれる。――その爲め漱石は、文藝を形成する單位內容から出發した。文藝の單位内容とはどういふものであるか。それを分類すれば凡そ幾つの群に纏める事が出來るか。さうしてその分類された群の內、どの群とどの群とが文藝の內容としてより有力なものであるか。然もそれらの群は時代の推移とともに增加して行くものであるか、それとも減退して行くものであるか。さういふ事を明らかにした後、漱石は、その文藝の單位內容に伴隨する情緖の性質の解剖に進み、更に一般的に文藝の內容とされるものの特質を明らかにする爲に、科學と文藝、科學者と文藝家、科學上の眞と文藝上の眞とを、比較對照する。次いで文藝的內容の相互關係と、それらのものをどういふ態度でどういふ風に組み合はせれば、最も有力な感動を將來し得るものであるかが問題にされる。最後は集合意識の問題である。集合意識の上に影響する文藝と文藝の上に影響する集合意識との問題は、文藝の社會的方面の研究に屬するが、漱石は此所で、集合意識と文藝家との關係を說き、摸擬的意識、能才的意識、天才的意識の差別から、集合意識推移の原則に及び、天才的意識はそれ自身獨特な推移の原則に支配されるから、屡集合意識とその推移を共にする事がなく、從つて天才は多くの場合、時世に容れられない所以を說明する。――一口に言へば、漱石の『文學論』は、文藝に於いて、その内容をなすものはどういふものであるか、それをどう組み合はせてどう表現すれば、讀者に十分な幻惑を與へる事が出來るか、然も1つの作品が讀者の意識の波のどういふ點に觸れる時、その作品は讀者を最も强く動かし得るのであるか、さうしてその事と眞の天才的な文藝上の仕事とは、どういふ關係に立つものであるか――さういふ事を、大部分英文學からの例證によって、客觀的に、科學的に、闡明しようとしたものである。

***
出典 『漱石の芸術』 小宮豊隆著 昭和17年 岩波書店
国会図書館デジタルコレクション
(下の画像も)



***
あとがき
小宮豊隆の見方は上記の通りだが、自分の見方で読まないといけない。

***
次回(5月25日)の「月刊ALL REVIEWS友の会 ノンフィクション回」の課題図書は、『ふたつのオリンピック』(ロバート・ホワイティング)だ。例によって図書館で借りてきたが、昨日読み始めたら、引き込まれ、今日までに185ページ読んだ。500ページを超える本だが、期日前に読み終えそうな勢い。ホワイティングさんは、私より7つほど年上だが、ほぼ同時代の感じがする。東京オリンピック前後の猥雜で魅力的な東京と日本人を軽快に描写してくれる。1960年代の神保町の町並も目に見えるように…。

次回(5月25日)の「月刊ALL REVIEWS友の会 ノンフィクション回」は一般公募もしています。有料。

0 件のコメント: