2019年5月10日金曜日

漱石いや金之助くん、頑張れ!

漱石 「文学論 序」の続き…

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オクスフオードはケムブリツヂと異なる所なきを信じたれば行かず。北の方蘇國に行かんか、又は海を渡りて愛蘭土に赴かんかと迄考へたれど、雙方とも英語を練習する地としては甚だ不適當なるを以て思ひ留まる。同時に語學を稽古する場所としては倫敦の最も優れるを認めたり。是に於て此地に笈を卸ろす。

倫敦は語學練習の地としては最も便宜なりと云へり。其理由は語るの要なし。只余はしかく信じたるのみならず、今に於てもしかく信じて疑はず。去れど、余は單に語學に上達するの目的を以て英國に來れるにあらず。官命は官命なり、余の意志は余の意志なり。上田局長の言に背かざる範圍内に於て、余は余の意志を滿足せしむるの自由を有す。語學を熟達せしむるの傍余が文學の研究に從事したるは、單に余の好奇心に出でたりと云はんよりは、半ばは上田局長の言を服膺せるの結果なるを信ず。

誤解を防ぐが爲に一言す。余が二年の日月を舉げて語學のみに用ゐざりしは、語學を輕蔑して、學ぶに足らずと思惟せるが爲にあらず。却て之を重く視過󠄁ごしたるの結果のみ。發音にせよ、會話にせよ、文章にせよ、たゞ語學の一部門のみを練習するも二年の歳月は決して長しとは云はず。況や其全般に渉つて、自ら許す底の手腕を養ひ來るをや。余は指を折って、余が留學期の長短を考へ、又余の菲才を以て期限內に如何程か上達し得べきかを考へたり。篤と考へたる後、余は到底、余の豫想通りの善果を豫定の日限内に收め難きを悟れり。余の研究の方法が、半ば文部省の命じたる條項を脱出せるは當時の狀態として蓋し巳むを得ざるに出づ。

文學を研究せば如何なる方法を以て、如何なる部門を修得すべきかは次に起󠄁る問題なり。囘顧すれば、余の淺薄なる、自ら此問題を提起して、遂󠄂に何等の斷案に逢着せざりしを悲しむ。余が取れる方針は遂󠄂に機械的ならざるを得ず。余は先づ走って大學に赴き、現代文學史の講義を聞きたり。又個人として、私に教師を探り得て隨意に不審を質すの便を開けり。

大學の聽講は三四ヶ月にして巳めたり。豫期の興味も知識をも得る能はざりしが爲なり。私宅教師の方へは約一年程通ひたりと記憶す。此間余は英文學に關する書籍を手に任せて讀破せり。無論論文の材料とする考もなく歸朝の後教授上の便に供するが爲にもあらず、只漫然と出來得る限り多くの頁を飜し去りたるに過ぎず。事實を云へば余は英文學卒業の學士たるの故を以て選拔の上留學を命ぜらるゝ程、斯道に精通せるものにあらず。卒業の後東西に徂徠して、日に中央の文壇に遠ざかれるのみならず、一身一家の事情の爲、擅に讀書に耽るの機會なかりしが故、有名にして人口に膾炙せる典籍も大方は名のみ聞きて、眼を通󠄁さゞるもの十中六七を占めたるを平常遺󠄁憾に思ひたれば、此機を利用して一册も餘計に讀み終らんとの目的以外には何等の方針も立つる能はざりしなり。かくして一年餘を經過󠄁したる後、余が讀了せる書册の數を點檢するに、吾が未だ讀了せざる書册の數に比例して、其の甚だ僅少なるに驚き、殘る一年を舉げて、同じき意味に費やすの頗る迁濶なるを悟れり。余が講學の態度はこゝに於て一變せざるを得ず。

(靑年の學生につぐ。春秋に富めるうちは自己が專門の學業に於て何者をか貢獻せんとする前、先づ全般に通󠄁ずるの必要ありとし、古今上下數千年の書籍を讀破せんと企つる事あり。かくの如くせば白頭に至るも遂に全般に通ずるの期はあるべからず。余の如きものは未だに英文學の全體に通せず。今より二三十年の後に至るも依然として通ぜざる可しと思ふ。)

時日の逼れると、檢束なき讀書法が、當時の余をして茫然と自失せしめたる外に、余を促して、在來の軌道外に逸せしめたる他の原因あり。余は少時好んで漢籍を學びたり。之を學ぶ事短かきにも關らず、文學は斯の如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左國史漢より得たり。ひそかに思ふに英文學も亦かくの如きものなるべし、斯の如きものならば生涯を擧げて之を學ぶも、あながちに悔ゆることなかるべしと。余が單身流行せざる英文學科に入りたるは、全く此幼稚にして單純なる理由に支配せられたるなり。在學三年の間は物にならざる羅甸語に苦しめられ、物にならざる獨逸語に窮し、同じく物にならざる佛語さへうろ覺えに覺えて、肝心の專門の書は殆ど讀む遑もなきうちに、既に文學士と成り上がりたる時は、此光榮ある肩書を頂戴しながら、心中は甚だ寂寞の感を催したり。

春秋は十を連ねて吾前にあり。學ぶに餘暇なしとは云はず。學んで徹せざるを恨みとするのみ。卒業せる余の腦裏には何となく英文學に欺かれたるが如き不安の念あり。余は此の不安の念を抱󠄁いて西の方松山に赴き、一年にして、又西の方熊本にゆけり。熊本に住する事數年未だ此の不安の念の消えぬうち倫敦に來れり。偷敦に來てさへ此の不安の念を解く事が出來ぬなら、官命を帶びて遠く海を渡れる主意の立つべき所以なし。去れど過去十年に於てすら、解き難き疑團を、來る一年のうちに晴らし去るは全く絶望ならざるにもせよ、殆ど覺朿なき限りなり。

是に於て讀書を廢して又前途を考ふるに、資性愚鈍にして外國文學を專攻するも學力の不充分なる爲會心の域に達せざるは、遺憾の極なり。去れど余の學力は之を過去に徵して、是より以後左程上達すべくもあらず。學力の上達せぬ以上は學力以外に之を味はふ力を養はざる可からず。而してかゝる方法は遂に余の發見し得ざる所なり。飜って思ふに余は漢籍に於て左程根柢ある學力あるにあらず、然も余は充分之を味はひ得るものと自信す。余が英語に於ける知識は無論深しと云ふ可からざるも、漢籍に於けるそれに劣れりとは思はず。學力は同程度として好惡のかく迄に岐かるゝは兩者の性質のそれ程に異なるが爲ならずんばあらず、換言すれば漢學に所謂文學と英語に所謂文學とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざる可からず。

大學を卒業して數年の後、遠き倫敦の孤燈の下に、余が思想は始めて此局所に出會せり。人は余を目して幼稚なりと云ふやも計りがたし。余自身も幼稚なりと思ふ。斯程見易き事を遙々倫敦の果に行きて考へ得たりと云ふは留學生の恥辱なるやも知れず。去れど事實は事實なり。余が此時始めて、こゝに氣が附きたるは恥辱ながら事實なり。余はこゝに於て根本的に文學とは如何なるものぞと云へる問題を解釋せんと決心したり。同時に餘る一年を擧げて此問題の研究の第一期に利用せんとの念を生じたり。

余は下宿に立て籠もりたり。一切の文學書を行李の底に收めたり。文學書を讀んで文學の如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗ふが如き手段たるを信じたればなり。余は心理的に文學は如何なる必要あって、此世に生れ、發達し、頹廢するかを極めんと誓へり。余は社會的に文學は如何なる必要あつて、存在し、隆興し、衰滅するかを究めんと誓へり。

余は余の提起せる問題が頗る大にして且新しきが故に、何人も一二年の間に解釋し得べき性質のものにあらざるを信じたるを以て、余が使用する一切の時を舉げて、あらゆる方面の材料を蒐集するに力め、余が消費し得る凡ての費用を割いて參考書を購へり。此一念を起󠄁してより六七ヶ月の間は余が生涯のうちに於て最も銳意に最も誠實に研究を持續せる時期なり。而も報告書の不充分なる爲文部省より譴責を受けたるの時期なり。

余は余の有する限りの精力を舉げて、購へる書を片端より讀み、讀みたる箇所に傍註を施し、必要に逢ふ毎にノートを取れり。 始めは茫乎として際涯のなかりしもののうちに何となくある正體のある樣に感ぜられる程になりたるは五六ヶ月の後なり。余は固より大學の教授にあらず。從って之を講義の材料に用ゐるの必要を認めず。又急に之を書物に纒むるの要なき身なり。當時余の豫算にては歸朝後十年を期して、充分なる研鑽の結果を大成し、然る後世に問ふ心得なりし。

(続く)
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出典 
『漱石全集 第八巻』大正9年 漱石全集刊行会

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あとがき
いい年だったのに真面目な漱石は、全力で留学の目的を果たそうとしてしまったようだ。そしてこのときの彼の悩みは、大学在学中に私が悩んだことに酷似している。(偉そうでスミマセン。)そして、真面目な漱石の取った対策がすごい。私も今でもこのような本質的なコトをやろうとして、無理だとあきらめ続けている。漱石がこのあと、どうするかが楽しみになってきた。(結末は知っているにもかかわらずだ。)


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どうでも良いあとがき
今日もらった、誕生祝いの花束。紫が古稀の定番だそうだ。



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