2019年11月3日日曜日

『開高健のパリ』は彼の『移動祝祭日』か?

『開高健のパリ』(2019年 集英社)を読む。



異国への逃亡の「経験」と、「小説」、遠心力と求心力をベトナム戦争体験の小説化で奇跡的に融合させたと、角田光代さんが、冒頭の「解説にかえて」で書いておられる。(これを読んであわてて、『夏の闇』を、図書館システムで予約した。開高健は文庫本や単行本を10冊くらい持っており、一時は愛読していた。『全集』を古本で買おうかとも思うが、ネットでは3万円くらいなので様子見。)
「解説にかえて」はALL REVIEWSでも読める。
https://allreviews.jp/review/3839

ユトリロの絵が数多く挿入されている。開高健が好きだった時代のユトリロの絵は、われわれの目に慣れた、晩年の枯れた味わいではなく、色彩豊かなパリの街の絵だ。開高健とユトリロは似合わないと、この本を読むまでは思っていたが、このユトリロなら、なるほどと思わせる。この絵を描いた時代のユトリロにとっても、この本を書いた時代の開高健にとっても、パリは豊穣な街だった。

46頁、壮大な石の森、パリの街を夜通し歩き回る、という開高健のまだ若い、そして痩せた姿が目に浮かんでくる。

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開高健さんの本はすぐ読み終えたが、『量子の海…』はなかなか読み終えられない。豊崎社長のおっしゃる「ゆっくり読む本」なのだろう。
175頁。傲慢とボルンに言われたオッペンハイマーだが、なぜかディラックには神妙な態度をとる。業績に敬服していたのだろう。
176頁。父チャールズのシゴト最優先の生活はにはディラックは反発を覚えていたのだろうが、彼自身もそうなっているのは皮肉だ。たまに帰省しても自分の部屋に引きこもって研究を続ける。(177頁)
181頁。「宗教」は大嫌いだと仲間に語る。自分のことを語るのは珍しいことだ。

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