2019年11月16日土曜日

『時間』(吉田健一)も『高い城の男』も、キーワードは時間。

『時間』(吉田健一 1976年 新潮社)を読んで見る。Twitterである方に教わったように、「プルウスト」の影響を受けている。数カ所に、言及がある。

たとえば、187頁。「併しプルウストは過去と現在の區別を固執して現在の前にあつたことは過去と見做してゐるから同じ五官の反應が過去と現在に共通であることで過去でも現在でもない時間が得られるという風に考えてゐる。そしてその區別だけ餘計であるがかうして忘却の後にそのうちから再現した狀況がまだ進行中の狀況では意識の働きが決定してゐなくて不確かであるのに對してさうした條件の下での夾雑物が全くないその狀況であるとすることは間違つてゐない。そこにはただ一つの時間の經過、持續があるだけである。」

時間は失われるのでなく、経過し、持続する。失われないので、時間は行きつ戻りつする。と考えて良いのだろう。そこは最新の時間論と同じなのかも知れない。

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こんなことをぼんやり考えながら、今朝までに届いたメールをチェックしていたら、『高い城の男』のシーズン4の視聴が可能になった旨の知らせが目に止まった。ここしばらく、待ちわびていたので、すべてを(大げさ!)捨てて、Amazonプライム・ビデオで観ることにした。



明日の(みちくさ古本市)の準備や、訪ねてきた息子の応対をそこそこにして、なんとか3話まで観た。

ますます、話は混沌としてきた。P. K. ディックもびっくりするだろう。

ナチス・ドイツ、日本帝国、占領された米国内のレジスタンス、ついに黒人共産主義勢力も登場し、過去と未来もいりまじり、パラレルワールドの描写もある。シーズン3まで観ていた私でも、ときどき混乱する。そこがオモシロイというべきなのだろう。10話まであるが、数日で観てしまいそう。

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明日出品する本のリストを作った。


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