2019年11月26日火曜日

『パリ左岸』が佳境に近づくと苦くて楽しい自分の思い出が蘇る

『パリ左岸』だんだん佳境に近づく。どこをもって佳境というのかは読み終わらないと判断できないが、とにかく盛り上がってきた。


115頁。1946年8月26日。ド・ゴールのパレード中もナチスの狙撃兵の銃弾が飛んでくる。パレードを済ませた将軍は断固排除を命令する。
116頁。対独協力者へのリンチ多発。
119頁。「パリの無傷の美貌は、精神の敗北によって贖われた。」ポワリエさんの名文。政治的なことを随分言っているという印象。
120頁。共産党系新聞は復讐をあおる。ココ・シャネルはスイスへ逃れた。コレットやコクトーは目こぼしを受ける。
121頁。かえって、レジスタンスに携わった人々のほうが寛容。日和見だった連中は不寛容、よくあることか?
123頁。共産党は粛清に向け強硬な姿勢をとる。
124頁。カミュ(コンバ紙編集長)はサルトルを米国に派遣する、ボーヴォワールもポルトガルやスペインに向かう。
125頁。ユマニテ紙(共産党系)のアラゴンはカミュらを批判。
126頁。カミュはマルクス主義を拒絶する。集産主義的経済とリベラルな政策を支持。
127頁。ボーヴォワールはカミュから渡されたケストラーの『真昼の暗黒』を一気に読み終える。1945年1月1日。
135頁。ヒトラー死亡。1945年4月30日。ドイツは降伏へ。
140頁。ピカソは1944年10月5日に共産党に入党していた。ジュリエット・グレコやデュラスも。
144頁。ヴァレリーの葬儀。
164頁。サロートの小説をサルトルが「アンチ・ロマン」と名付ける。10年後の「ヌーヴォー・ロマン」との関係性?
170頁。米国駐在の大使館関係者、レヴィ・ストロースはパリに憧れていたリチャード・ライトをフランスに招待する。実際には米国当局者の監視がついた。


この辺(1945年前後)を読んでいると、自分の青春時代の流行やそのなかでの読書経験(乏しいが)が蘇ってくる。20年以上経ってから、遠い東の島国で、実存主義とはなにか理解しようとしたり、サルトルやメルロー=ポンティをわからないまま読もうとしていた。カミュも。

良い機会なので、このあたりの本を読み返してみたい。書棚をあさると、サルトルは7冊見つかった。カミュも2,3冊あるだろう。メルロー=ポンティの『知覚の現象学』は売り飛ばしたけど仕方ない。

1960年代後半の日本では『パリ左岸』で描写されているような政治的対立が小規模に起きていたと思うし、その中に自分も居たような気がしてならない。情けない日和見だったが。

この時にやり残した宿題があるので、それに始末をつけたいとも考える。完全に始末できるとは思えないが、自分の中の気持ちの整理はつけたい。

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昨夜は目が冴えて眠れなくなるのを防ぐため、わざと『空間と時間の数学』を読んだ。よく効く。わずか9頁目で寝落ちした。今夜もこれを読もう。


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