2020年1月11日土曜日

『日米交換船』(新潮社)によると鶴見俊輔はアフリカでグリップスホルム号から浅間丸に乗り換えた

『日米交換船』を読み進めた。168頁まで。


交換船として使われ、鶴見俊輔が乗ったのは、ニューヨークからロレンソ・マルケスまでが「グリップスホルム号」、ロレンソ・マルケスから横浜までは、「浅間丸」だったそうだ。浅間丸の名前は知っていたが、グリップスホルム号は知らなかった。(または、少年時代に知っていたが忘れていた。)

Wikipedia や、『豪華客船の文化史』(野間恒 2008年 NTT出版)(書誌)で見ると、浅間丸とグリップスホルムは大型船にディーゼル機関を載せる初期の例であったらしい。グリップスホルムが先だろう。



浅間丸は航空母艦に改装されようとしていたが、終戦前に、輸送船として使われているうちに、潜水艦の雷撃で撃沈された。

グリップスホルムはスウェーデン船籍で米国にチャーターされていたが、戦後はドイツに売却され、最後はイタリアで1966年に解体される。

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どちらも豪華客船ではあったが、交換船としての使われ方は、当時の日米の政治体制に左右された。たとえば、食事の良し悪しや、食事内容に階級差別があるか否か。

昭南(いまのシンガポール)に着くと、鶴見俊輔と姉の和子は官邸で叔父の鶴見憲(後に陸軍中将格)の接待を受ける。久しぶりの美食だっただろう。

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午前中は主治医のK内科に行き、定期の診察。最近、血圧高めで、次回まで朝の血圧を今より頻繁に測って報告するよう言われた。下手をするとまた薬を飲む羽目に陥りそう。

午後は、Jの手伝いで、子供向けお汁粉会用の大納言小豆を買い出しに行く。6キロも買い込んだ。重い。やっとの思いで、コミュニティセンターに届ける。小豆は値上がりしている。6キロで8000円。数年前なら6000円程度だった。

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