2020年9月20日日曜日

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の冒頭部分は明るいタッチだが……


『トーマス・マン日記 1946年-1948年』読み続ける。面白い。

編者Inge Jensの書いた註釈の詳細さと見事さにうたれる。編者序文に本人が書いているように「ゆっくり、急げ ( Festina lente ) 」でないと出来ないだろう。そして、老年期になったトーマス・マンも『ファウトゥス博士』を、周囲の手を借りながら、「ゆっくり、急いで」書いていたようだ。

1947年1月29日に、1943年5月23日から書いていた『ファウストゥス博士』を完結させたと、正確な日付を持ち出しているが、これは、日記を書いていたからに違いない。念の為、この日の日記を引っ張り出してきて見ると、たしかに書き始めたことの記述があった。少し戻る。

1946年12月21日。日本で津波があったという記述。南海大地震のことだろう。

1946年12月27日。妻や娘などが執筆を手伝う。うらやましい。彼女らはマンの進行の遅さに業を煮やしたのかも。

1947年1月1日。この日だけは執筆をしない。読書は休まない。ここも頭が下がるが、読書を続けるのは、執筆へのエネルギー供給になるのだろう。

1947年1月6日。娘のエーリカが原稿の校正校閲をしっかりやってくれたとの感謝の言葉。でも譲れないところもある。

1947年2月5日。執事のフェーリクスが酔って車を運転し、逮捕されたとある。「フェーリクス」だと!? 「詐欺師フェーリクス・クルル」との偶然の一致かしら? これを種にして、『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の続編パロディーを考えるという、楽しそうな作業を思いつく。明日、具体策を考えてみよう。

1947年4月10日。フェーリクスが収監から戻る。索引を見ると、何箇所にも登場している。「フェーリクス・クルル」という語も何箇所も出てくるようだ。面白そう。

1947年4月22日。パシフィック・パリセーズを発ち、ヨーロッパ旅行に出発。シカゴ、ワシントン、ニューヨークを経由して、クイーン・エリザベス号でサウザンプトンへ。乗り心地はあまり良くないと書いている。船高が高く揺れるのだ。ロンドンでは講演を二つ。「ドイツとドイツ人」、「ニーチェ論」。

これも読んでおきたい。

1947年5月28日。エア・タクシー(小型機)で、ロンドンからチューリッヒへ。懐かしかっただろう。

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孫の命名書をインターネット上のツールで書いてみる。手書きのほうが趣はありそう。でも、これは親の仕事だと考え直す。

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