2020年9月3日木曜日

ひとり暮らしを楽しむのを、荷風のやせ我慢と言っては失礼だ

『荷風と東京『斷腸亭日乗』私註』(川本三郎)。まだ、新居での独身生活を楽しんでいると書き続ける荷風。

121頁。
その典型は「夜歸る」で、麻布の高台の静けさを愛でている。大正10年の『寫況雜記』に入っているそうだ。(本としては『麻布雜記』の63頁。帝國圖書館アプリで読んだ。)

123頁。
近所には、元南部候のお屋敷、米国大使館があり、公孫樹の落ち葉も美しい。ときには暖炉に火を入れてその雰囲気を楽しむ(大正14.12.21)

126頁。
落ち葉焚きを楽しむ。最近見た『おもかげ』には落ち葉を掃く箒の寫眞が掲載されていた。荷風自身が撮った寫眞。

『伊沢蘭軒』も庭掃きが好きだったと、「葷齋漫筆」に書いてあるそうだ。「葷齋漫筆」は『荷風随筆』(昭和8年)で読める。なお、『伊沢蘭軒』が掃除をする場面は、私の『鷗外選集』では7巻の374頁に書いてある。

ともかく、これらは皆文人趣味。

132頁以降。
近所の小さな「山形ホテル」は良く利用していた。このホテルの経営者の息子は名優の山形勲だった。

145頁からは、「鷗外への景仰」。

146頁。
大正11。7.9。鷗外が60歳(!)で死去。

147頁。
鷗外は向島弘福寺に葬られた。(弘福寺については『澁江抽斎』参照。)

前後するが、7月11日通夜、12日葬儀にもちろん参列した。

148頁。
鷗外は第2の父だった。実の父永井久一郎(文部省から日本郵船)の死より、純粋に悲しかっただろう。

151頁。
荷風は、「鷗外のなかに日本的なものと西洋的なものの落ち着いた調和」を見ていた。

154頁。
大正12年、『鷗外全集』が出ると、「澁江抽斎」や「伊沢蘭軒」をあらためて読み直す。

156頁。
自分も「澁江抽斎」のような史伝を書きたくなり、『下谷叢話』を書く。鷲津毅堂の話。

この流れは、現在森まゆみさんが受け継いでいると言っても良い。掃苔探墓。

『鷗外の坂』(森まゆみ)と佐藤春夫の『小説永井荷風伝』を図書館で予約した。

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昨年、鬼子母神の古本市で買った『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』(新潮社)を読んだ。寫眞がたくさん掲載されている。



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