2020年9月13日日曜日

日記は簡潔に大きな字で書くのが良い

小堀杏奴の『晩年の父』(岩波文庫)を読み終えた。森鷗外家の問題は、直系家族のなかの嫁姑問題に帰着するようだ。これを文学として書いた鷗外は大したものだが、書いて発散は出来なかったのだろう。ともかく、子供たちには非常に優しい父親だった。

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『鷗外選集 第21巻』のなかの、晩年の日記「委蛇録」を拾い読みする。簡潔な漢文の形で書かれた日記。叙情的な部分はほとんどない。でも随所に出てくる子供や妻との外出・外食の記述を読むと、最後に良い父親・夫であろうとした鷗外の姿が浮かび上がる。

簡潔なので、じっくり読まないと味が出てこないが、そういう読み方がかえって熟読感を増す。読んでいて疲れない。

以前は当用日記帳にペンで日記を書いていたと言うが、この日記は和紙に筆で書いてある。体力も衰えており、毛筆で漢字のみで短い語句を並べるほうが良かったのだろう。もしかすると、目も衰えていたので、大きな字で書かざるを得ない毛筆のほうが、便利だったのではないか。自分も、最近目の衰えを感じるので、そう思う。鷗外よりも10年も生き延びていると思うと感無量。

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