2020年10月21日水曜日

『トーマス・マン日記』の詳細な注釈にあらためて驚く

『トーマス・マン日記』のつづきを読む。


1949年1月23日。
短い日記と長い注を読むと、マンの日常が透けて見えてくる。書き、孫と散歩し、読書する毎日。政治のニュースにも注意を払う。

1月27日。溺愛の対象、8歳の孫フリードにアンデルセンを読んでやる。この冬から春までフリードとその弟を両親(ビービとグレート)から預かっている。大変だっただろう。

2月1日。
映画『魔の山』構想をコルダ監督と協議。『魔の山』で主人公の「幼馴染」として重要な役割を夢想のなかで果たす、プリービスラフ・ヒッペはシナリオから落とすしかない。(# マンはずいぶん落胆しているようだ。)

編者の詳細な注(# 詳細すぎて本の厚みが2倍以上に膨れ上がっている。たしかにコンピュータの助けとトーマス・マン研究が進んだことにより注が大量になるのだろう )によると1950年7月11日の日記にもヴィルリ(本名)としてヒッペに関する記述があるという。そちらの注を見ると、リューベック時代の学友でヴィリラム・ティンベといい、マンが下宿していた高校教師の家の息子。

同じ注に、『トニオ・クレーゲル』の幼馴染ハンス・ハンゼンのモデルはやはり学友アルミン・マルテンスだとのこと。

同性の幼馴染たちを詳細に記述することによりトーマス・マンは、彼らへの愛情を香り高い文学に昇華させている。

3月12日。
いつも膨大な量の手紙が届く。中には答えなくてはならないものもあるが、手紙書きで、午前中の仕事を邪魔されるのはイヤだ。(# 電子メールのある世界を教えてあげたいものだ。)

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明日はマンション管理組合の仕事で一日忙しくなりそうだ。

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