2016年10月24日月曜日

ディック・フランシスは家内工業的に小説を書いた

 

「私はいまだに年一冊小説を書き、いまだに同じ方法で、つまり、一度に一センテンスずつ、鉛筆でノートに書き、イメージが頭に浮かぶのを待ちながら、それがどこから出てくるのかわからないでいる。」  
          『女王陛下の騎手』(ディック・フランシス、菊池光訳 
            1996年 ハヤカワミステリ文庫版 299ページ)

 この一節は、1992年前後に書かれたと思われるが、今の編集者が聞いたら卒倒しそうな方法で(書き直しなどほとんどなし!)1960年台からベストセラー推理小説を生産し続けた、英国の往年の名騎手のディック・フランシス。

 小説に必要な知識、例えば現代の小型飛行機の操縦の知識は、元パイロットの彼には手に負えず、妻であるメリイが免許を取ってしまうくらいに勉強して、彼に供給する。更に妻メリイはその免許と知識を使って競馬関係者などにサービスするエア・タクシー会社まで設立して経営してしまう。

 下の息子(フェリックス)は、親父の晩年には小説を書く手伝いをしていたが、最後には物理学の教師の職を捨てて、フルタイム・ライターになる。彼の小説には親父(ディック)の名前が冠として付いている。やはりよく売れている。

 私は会社入社当時の休日の娯楽として競馬をかなり熱心にやったが、そのつながりで、ディック・フランシスの競馬推理小説を読んだ。新刊が出るたびに買い求めて読んだ記憶がある。エンターテインメント性はピカイチ。肩がこらずに、一晩一冊のペースで読める。人間の醜悪な部分はほとんど出てこない。

 この「楽しく」読める小説の秘密は、ディック(リチャード)・フランシスが、オープンな態度で家族と一緒に書き進めたことにある。

 したがって、彼は「ディック・フランシス」は小説生産者家族の代表名で、自分のことはリチャード・フランシスと呼べと言っていたという。

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