森有正先生の日常
『バビロンの流れのほとりにて』より引用
「今の僕のパリで始まっている生活をちょっと書こう。朝のめざまし時計で五時半に起床し、すぐ洗面をして、コーヒーをわかして、パンと一緒にとる。それから八時半まで、かせぐための東洋医学の仏訳をし、それを終えるとすぐ外出し、前のカフェー・ギマールで三十フランのカフェー・オーレーをもう一度飲む。サン・ジャックとゲーリュサックの角か、リュクサンブールの駅前から、二一か二七か、八一のバスに乗って、パレ・ロワイヤルで降り、リシュリュー街を通って、ビブリオテーク・ナショナルに入る。そして夕方の六時まで仕事(デカルト研究)をする。食事は、近所の小さいカフェーで、サンドウィッチとコーヒーとですませ、時には自分で作ってもって行って、席で食べてしまう。…
午後六時に研究が終ると、またバスに乗ってカルティエ・ラタンに戻り、安いレストランに入るか自分の部屋で自炊する。それから十時半か十一時になるまでは自由な時間で、日本の新聞雑誌に出すものを書いたり、手紙を書いたり、好きな本を読んだりする。その他一週に一度アンスティテュ・パンテオンに仏作文の稽古と、一カ月に二回、ジャコブ街のM夫人(ワール教授の知合い)のところへハイデッガーをドイツ語で読みに通う。以上の仕事の日課は月曜から金曜までの五日間で、土・日は完全に休み、自由に時間を使う。僕はこのシステムを今後少なくも四、五年間、推しすすめてゆかなければならない。…
しかし僕にとって、この生活は限りなく生甲斐があるのだ。僕はこの生活のリズムを固く維持し、数十年を経過したいと思う。青春がすでに過去となった僕に、こういう生活が待っていたことは何というよろこびだろう。」
この境地に達していたのは先生が留学を始めて数年後、そして亡くなるまで20年以上ほぼ似たような生活が続いたと思う。
自分はすでに森先生の亡くなられた年齢をいくつか超えてしまった。改めて、自分をはげまさなくてはならない。
日常シリーズ開始しました。ここの真似です(^o^)
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