昭和21年には、5月以降の食糧危機との闘いがあった。それと同時に国鉄や新聞放送労組、電産労組のゼネストへの動き、それを支持する共同戦線の活動などを特筆すべきであろう。たとえば、十一月一日の「ゼネスト討論会」は盛岡文化懇話会の主催で行われた。
筆者は荒畑寒村の著作をひきながら、共産党と労農派との確執を描写している。そのなかで、昭和22年2月のゼネストは空前の盛り上がりをみせながらも、マッカーサーの禁止命令のため、実施が断念されてしまった。
休むことなく、その後すぐ行われた統一選挙へ、時代の波は進む。必ずしも民主戦線の思うようには選挙結果はならなかった。
メーデーのあと、「民主政府樹立共闘委員会」は、5月11日拡大幹事会をひらき、今後の活動は民主協議会の形態をとり、名称は「民主団体連絡協議会」とし、政党と民主団体の活動分野を区別する旨を決めた。
「若干の後退を余儀なくされた」(273ページ)と筆者は残念そうに書いている。
上部構造だけでなく、下部構造も視野に入れた動きをこの本の後編として書きたいという希望が、あとがきに書かれているが、ついにこれは実現しなかった。(この項おわり)
荒畑寒村、『平民社時代』、『寒村自伝(上・下)』 |
追伸 義父の書棚から譲り受けた書籍の中に、荒畑寒村の文庫本も発見した。今後これも目を通したい。考えることがあったら、ブログに書きます。
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