『トーマス・マン日記 1953−1955』を読み終えた。
1955年7月。オランダへ旅行。アムステルダムのホテルで記者会見し、東西ドイツの融合を望んでいるとコメントした。足が弱っていると感じながら、最後の『シラー』講演をする。女王と謁見。ルナンの『パウロ』を読む。バッハとプロコフィエフを部屋の蓄音機で聴く。海岸の「小屋」で一人で過ごす。子供の頃を思い出しただろう。「ショウ」の『結婚』やメルヴィル『ビリーバッド』を読む。
「リューマチ」と思っていた足が、診察の結果、鼠径部の静脈炎による血液循環障害と判明し、チューリヒの病院へ搬送される。州立病院で7月を終える。ショウの『結婚』を読み終え、アインシュタインの『モーツァルト』を読む。
7月9日。
……眼前に広く遠くまで広がる海辺と、静かにとどろく海という、なじみのシチュエーションをよろこんだ。ここならまだ可能な限りの気分の良さを感ずる。7月29日、巨大な州立病院にて。
……この状態がどのくらい続くのか、不明のままに任せよう。ゆっくり明らかになってくるだろう。きょうは少し椅子に座ることにする。――消化の心配と難儀。
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1955年8月12日、死去。結局ドイツには帰れなかった。
スイス、キルヒベルクにあるトーマス・マンの墓碑 From Wikimedia Commons, the free media repository |
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「海辺のイメージ」を最期の日々に思い出していただろうか。
『トニオ・クレーゲル』(高橋義孝訳 角川文庫版 77頁)
風と潮騒に包まれて、トニオ・クレーゲルはこの永遠の、重苦しい、しびれさすような喧騒に浸りきってたたずんだ。彼はこの喧騒を心から愛した。ひとたび身を翻し、そこを立ち去ると、たちまち彼の身のまわりは静かに暖かくなるように思われた。
『ブデンブローク家の人々』(森川俊夫訳 新潮社全集第1巻 109頁)
遠くのものであろうと近くのものであろうと、どんな小さい物音をも不可思議な意味にまで高めずにはいない、あののびのびとした、静かに潮騒の聞える平和につつまれて、二人は海辺を歩いた……
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読み残している最後の(刊行は最新)『トーマス・マン日記 1918 - 1921』はこれから借りて来ることにした。図書カウンターでの30秒くらいの受け渡しなので、コロナ感染は大丈夫だろう。昨日の神奈川県の新規感染者数は999!
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