『トーマス・マン日記』を読む。マンの「完結ではない結末」は近い。風邪気味の状況が長く続く。咳が出て、夜はよく眠れない。医者の往診を受け、歯科医にも一度行く。この時季はいつも体調が良いのだが今年はおかしいと悩んでいるが、この時、設備の整った病院で検査を受けるべきだったろう。マン自身がその気にならなかったのだろう。覚悟はできていた?
そんな中でも出来る事は続ける。ルターの資料調べと、放送局や自宅での朗読録音など。
1955年4月2日。
『ルター』資料の前に座るが、終日眠気がして、エネルギーがない。4月6日。
チューリヒの作家たちがモンブラン万年筆、葉巻一小箱の(3月末の『チェーホフ』講演の)お礼をしてくれる。4月19日。
きのう午前ハムブルク放送のために『トーニオ・クレーガー』第1章第2章朗読を始めた。きわめてうまくいく。第1章が第2章のために犠牲にされていることを恥じる。アインシュタイン逝去の報。
4月25日。
きのう早朝、82歳で、(今月会ったばかりの)ポルガル逝去という新聞報道。……いつそれは私を急襲するのか――まだ誕生日前に? あるいはそのあとほどなく? ――『ルター』資料と若干取り組む。4月26日。
食器棚付き配膳台の下でつるりと足を滑らせ、倒れこみ、皿を割り、指に怪我をする。ショック。4月30日。
書斎の机での私と、庭でKといっしょの動画撮影。(『トーマス・マン。生涯と作品についてのドキュメント報告』)
#これかもしれない。
https://youtu.be/CTAJXJ_ptMY
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「世界SF作家会議」観る、おもしろい。
https://youtu.be/LgmVqCMPGY8?t=2
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昨日発見した1938年の映画『ピグマリオン』、今日AmazonPrimeで視聴。この最後も気に入らない。映画はハッピーエンドでなくてはという思いこみ。そういう商業主義は嫌いだ。
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) |
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