1919年4月と5月の『トーマス・マン日記』を読む。
ミュンヒェンの赤軍は白軍に駆逐される。銃声による戦闘の描写。その中でKは何とか出産。男の子(ミヒャエル)。エリーザベトほど愛情が湧かないと書いている。正直すぎる。生まれたばかりなので仕方ないのかも知れないが、可哀想だ。普通の親なら日記には書かない。
『魔の山』の資料がなぜか義理の両親の家に預けてあったのを取り寄せ、梱包を解き、書類棚に並べる。執筆の再開だ。冒頭から書き直す。祖父の記述や、ハンス・カストルプの年も変更したり、元に戻したりしている。
執筆のためだろうが、自宅の騒動を避けて、友人の別荘に泊まりに行ってしまう。仕事のため、名作のためには仕方ないとも言える。それを許すKが偉い。筆一本で食べているので、こうせざるを得なかったのだろう。
こうして読んでいると、先日まで読んでいた70歳台に書いた日記より、赤裸々で、身につまされる。トーマス・マンにお疲れ様と言いたくなる。
これは10年後だし、夫妻と一緒にいるのは上の子供たち 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) |
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午後は、マンション管理組合の理事会があった。今期最後で、あとは2月末の総会の司会をつとめれば、理事長のお役御免となる。割と軽い気持ちで引き受けたが、意外と大変だった。肉体的にではなく、精神的に疲れた。なんとか無事に終わりそうなので、夕食はサボテンのとんかつを食べることになった。自分で作らなくて済むので楽。
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