2016年12月14日水曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その4(第二部上)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。
 
 第二部は「文化運動とその周辺」。「文化運動」?と思ったが、中身を読んで、了解した。この本の筆者にとっては、「文化運動」と労働運動や政治活動は切り離せない。あるいは、「文化運動」の一端として他の活動がある。その最大の理由は昭和二〇年八月一五日までの苦しい生活にある。

 「(敗戦直後の国内問題のうち)主要な命題は政治的には「天皇制存廃」「戦犯追放」の問題であり、経済的には「食料確保」「産業再建」の問題に要約された。」とある。(35ページ)
「戦後の民主勢力は、政治的には社会党と共産党、経済的には労働組合と農民組合が主な組織」とも述べる。(35ページ)
「この4つの民主団体と、密接、不可分」ではありながら、「全然別個なグループの中心に」居たと筆者は述べている。(35ページ)

 このグループは「文化運動」においては「盛岡文化懇話会」を組織し、民主人民戦線内では「文懇グループ」と呼ばれた。

 このあと、いわゆる「文化人」の戦争中の行動を批判している。高村光太郎や横光利一(筆者は「敬愛する」と書いているが)の戦争中の行動や発言に失望した旨の記述が続く。

『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治、1,956年、現代社)著者の蔵書
また、前述の鈴木東民の「ナチスの国を見る」も紹介している。これは読んでみたいが、国会図書館に行くしかなさそう。

 この鈴木東民が編集局長だった、当時の読売新聞は「アカハタに近いといわれたりした」とある(42ページ)ので、今から考えると驚き!しかし、正力松太郎を中心とする会社側との労働争議に敗れ、鈴木は「岩手の民主戦線へ参加する」。(43ページ)

 「朝日新聞は新岩手日報との特殊関係(未調査 福地)から多くの記者を岩手に疎開させた」(45ページ)このため、終戦後の新聞業界のストで、新岩手日報だけがストを決行する事となる。
 
 このあと、筆者(三浦)の「文化運動」についての記述が続く。
新岩手日報、東北文庫への寄稿、「岩手出版文化協議会(筆者は幹事)」に参加した「生活者」誌の編集、文化人グループとの交流など。
 このあたりは、資料にあたって調べなければならないが、今のところそのような余裕がないので、将来への重たい宿題としたい。

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