2016年12月20日火曜日

冷えと、胃痛と、木村蒹葭堂の功績




 発掘本。たぶん初めて買った全集本。『芥川龍之介全集(全二巻)』(春陽堂書店、1966・1967年)。

 二巻本だが、それぞれ3段組1,000ページ以上。索引もついた立派な全集。中性紙をつかっているのか、50年たった今も劣化していない。ただし、本文が現代仮名遣いなのが難。二巻とも1800円なのだが、高校生だったので親に支払ってもらったのだろう。当時八戸市の中心部にあるI書院は、つけがきき大いに助かった。

 この本を今朝持ち出したのは、「僻見」という評論を引用したいためである。木村兼葭堂のことが書いてある。芥川はこれを書いた当時に胃を悪くしていたらしい。旅行中に京都の博物館で、美術品をみながら胃の痛みをこらえていた。木村蒹葭堂(芥川は巽斎(そんさい)と別号で呼んでいる。)の山水画をみて、「しろうとじみた」駘蕩さをもった絵に惚れ込んでいる。(春陽堂版全集、第二巻、一八八ページ中段)

 昨夜、私も(というと恐れ多いが)、冷えから来る胃痛で目を覚まし、あわてて薬をのみ、あんかを使って温めて治した。眠れないので、本をよむのだが、たしかにむつかしい本は読めない。そこで、「僻見」の青空文庫版の電子書籍を読んで、眠気を誘うことにした。このようなときの読書は手軽な電子書籍にかぎる。

 「ちょうど大きい微笑に似た、うらうらと明るい何ものかはおのずから紙の上にあふれてゐる。僕はその何ものかの中に蒹葭堂主人の真面目を、──静かに人生を楽しんでゐるジレッタントの魂を発見した。たとい蒹葭堂コレクシヨンは当代の学者や芸術家に寸毫の恩恵を与へなかつたとしても、そんなことは僕の問うところではない。僕はただこのジレッタントに、──如何に落寞たる人生を享楽するかを知つていた、風流無双の大阪町人に親しみを感ぜずにはいられないのである。」(同、191ページ下段)

 芥川はこのときまだ若かったはずだが、蒹葭堂の隠居芸を楽しむ余裕は持ち合わせていた。これは彼の才能でもあるが、やや病弱な体と多量の読書と執筆上の経験から来るのだろう。

 私はこれから、この余裕を得ようと、(ゆるく)つとめたい。このためには胃痛の原因は冷えにあろうと推測する人生の余裕も大切だろう。



 ともかく、この本を20年以内(現在購入後10年経過)に読み終えることにしたい。

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