1952年、トーマス・マン夫妻は失意のうちに加州を後にして欧州へ戻る。マッカーシズムの嵐の中で77歳を過ぎ、肺癌手術後に弱った体は耐えられないとの判断だ。
アイクでなくスティーブンソンが選挙で勝てば、大丈夫と言うクラウス・Jr君の説得も効かない。「もしそうなったら戻るよ。」というトーマス・マンの言葉も力がありません。
FBIが目を光らせているので、クラウス・Jr君の友人のつてで秘密裏にKLMの航空券を入手し、トーマス・マン夫婦は逃げるように欧州に向かった。
家財の管理と整理を手伝う。マン夫人からはその手数料月60ドルが送られて来る。
数千冊の蔵書は一冊5¢で業者に引き取られた。トラックに積むときシャベルが使われた。😢
60ドルでは生活には足りない。家電セールスやダグラス社の助手などやったが詰まらない。ただし学費は貯まった。マンの邸宅が買値で売れた。2万5千ドル。マン夫人に小切手を送った。なお、後には300万ドルの値がついたそうだが。あとの祭り。
カリフォルニア大学で勉強して、将来は歴史や政治学を教えたい。という目標が定まった。
高校の既習課程では、数学の単位が不足だ。数学をやり直す気はさらさらないので、大学の学生部長を説得し、初年度オールAをとるという条件で入学追認してもらう約束をさせた。もちろん、すでに知っているような科目を選んだのは言うまでもない(^_-)
30歳になるまで世間の荒波に揉まれてきたクラウス・Jr君の生活能力と交渉能力は大したものだ!
やっと、「自由の国」での大学生活が始まる。
(昨日の夢に出てきたS先輩たちと、『自由からの逃走』の読書会をやったのを思い出しました。どこかに本があるか、発掘してみたい。)
少し後、母親の招きで欧州に旅して1 6年ぶりに邂逅。そして母親から自分の出生についての衝撃的な事実を知らされる。
また、その旅行中にトーマス・マンの訃報に接する。
これらは次回以降。
マカオで買った「無実を証明する」鳥のお守り |
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