2017年1月18日水曜日
ルカーチ『ロマンの魔術師』の読書感想文(その1)
冬休みの読書感想文です。今年はルカーチさんの『ロマンの魔術師』にします。トーマス・マンに関する論文集だそうです。(片岡啓治訳、1971年、立風書房)
序文でルカーチは2つの論文と言っているが、出版時に2冊にまとめたことがあるのでそう言っているだけ。実際には5つの論文が掲載されている。序文と訳者解説をひっくり返しているうちにわかった。ややこしいことだ。まず第1番目の論文「市民を求めて」に関してです。
トーマス・マンの70歳誕生日(1945年!)を記念してこれは書かれた。トーマス・マンはかならずしもルカーチが好きとは言えなかったようだが、認めては居たらしい。(序文による)
12ページに(トーマス・マンは)「ドイツ市民階級のなかでも最良の、しかも目の前にみることのできる象徴である」と書いてあります。象徴という意味深長なことを書いていますが、トーマス・マンの貴族性を軽く揶揄しながらも、市民としてふるまおうとする態度や行動(特に亡命中の)を評価していると思われます。
54ページ以降。「フランス人は、ブルジョワに対比してシトワイヤンといい、ロシア人はグラジダニンというのに、ドイツ語にはそれにあたる言葉がない。」とあります。
日本語ではどうか? 「市民」という言葉には深い意味付がまだされていないような気がします。自発的な「革命」を経験していないせいか?
60ページ。「彼は現在でもまだ市民を求めている。...自分の魂のなかに。」 つまり絶えざる追求が必要だし、トーマス・マンならそうするだろうと注文を付けている。
トーマス・マンはその15年後、85歳でスイスで亡くなるのだが、その時点でのルカーチの評価も調べてみたいと思います。
特に1946年の赤狩りに時代をトーマス・マンはどうくぐり抜けたのか、結局米国の生活を続けられなかったのはなぜか、またこの苦しい時代を通じて書き続けられたのは何故かなどがなどがテーマとなりそう。
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