2017年1月22日日曜日

トーマス・マン夫人の甥は相当お茶目だったが、時代の雰囲気は重苦しい



 今年の目標の一つにJazzをもっと聴く、ということを挙げた。
 そう意識していると、『村上春樹 雑文集』(2015年 新潮文庫)が、本箱の中で目に止まった。163ページに「ビル・クロウとの会話」なる文章があり、この「渋い」ベーシストの書いた本も、村上さんは訳しているのに気づいた。物好きだなあ。

 トーマス・マンはクソ真面目なので、ウエストコーストJazzなど無視していただろうが、今回読んでいるクラウス・プリングスハイム・Jr君は、Jazzも大いに楽しんだだろう。多分ダンスしながら。

 『Man of the World』によると、チャップリンの『伯爵夫人』の私的試写会に、トーマス・マンもクラウス・Jrも出席しているが、当然この行動は、米国当局のマークするところとなっただろう。

 クラウス・Jr君と父親は、実は裕福でないマン家の内情がわかったので、マンの邸宅を出て、自活の道を探る。父親は高名な指揮者だったので、大学の音楽学科(?)の講師に就職。クラウス・Jr君は、日本で習い覚えた日本語を活かそうと、大学の図書館に行き、就職口を捜す。図書館では、大量の日本語図書が手に入っていたが未整理だったので、整理係に雇うことにした。時給30セント。安いが背に腹は変えられない。

 しばらく、本を整理してみると、どうも料理や庭仕事など、実用書ばかりが多い。実は、これらの本は大戦中に収容所に入れられた、日本人入植者たちが家に残さざるを得なかった本だったらしい。あまり価値のある本はないし、何より給料が安くて、暮らしていけない。ダメ元で申し込んだ昇給も断られたので、それを機会にクラウス・Jr君は、やめてしまった。

 次の就職口は、タクシーの運転手。勤務はきついが、給料の同額か、それ以上のチップが手に入る。週に数十ドルから100ドルくらいは手に入る。
 ここで一つ問題がある。クラウス・Jr君は日本から来て間もないので、ロスアンゼルスの地理をまったく知らない。あわてて地図を買って勉強した。付け焼き刃の知識で運転していたが、乗客に、「近道を知っているなら、教えてね」と言うと、大抵の客は、ナビゲーションをしてくれる。ので、ほとんど困らなかった。と彼は書いている。大した度胸だ。

 有名人・スターなどを乗せたこともある。一度は、ハワード・ヒューズが裁判所から出てきたところをのせた。どうも非米活動委員会の取り調べの帰りだったらしい。でも彼は非常に冷静で礼儀正しく、降りるときには料金(数十ドル)以外に、チップだと100ドルくれた。これには助かった。

 タクシー運転手には誘惑も多い。料金代わりと言って自宅に連れ込もうとする女性もおり、数ヶ月で運転手はやめた。

 そもそも彼には、日本にのこしてきた恋人(NAOKO)がいる。会いたいので、日本に行けるような就職口を考えた。軍人(軍属)になるしかない。そこで、なんと徴兵検査を受けて、新兵訓練を受けようとする。さすがにマン夫婦に相談したが、お前のすきにしろと言う返事。訓練を数ヶ月受けて、兵隊になった。配属希望は、日本語をいかした日本である。朝鮮戦争が始まろうとしていたが、朝鮮に行ったとしても、休暇は日本でとれると聞いている。

 ところが、残念ながら、なぜか前線には出されず、米国で兵士に日本語を教えるようにと言われる。持ち前の器用さで、うまく日本語を教えて、昇進もした。下士官待遇になり、食堂にいくと、良いビフテキを選んで、振る舞ってもらえる。もう一度、日本に行きたいと上司に相談したが、断られる。

 理由は、彼の出身(ユダヤ系)にあった。そして、お前のおじ(トーマス・マン)はコミュニストの手先だから、とも言われた。チャップリンの映画試写会に出たのも裏目に出たのかもしれない。

 彼はNAOKOに手紙を出し、日本には当分行けないと打ち明けた。短い手紙が返ってきて、二人は別れることにした。

 彼は、このあと一時的に軍の資材管理システム(!)のオペレーターをやらされたが、つまらないので軍をやめた。

 コミュニズムへの米国の神経質な対応が、なんとなく伝わってくる。今日はここまで。

 ピアノJazzがやはり良い。ビル・エバンスを始めとして、クロード・ウィリアムソンやバド・パウエルやエロール・ガーナーやオスカー・ピーターソンなどを聴きまくる。

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