2016年11月4日金曜日

書かれなかった作品を想像し鑑賞する楽しみ

 ある作家と付き合う(作品をたくさん読む)と、構想だけで終わったらしいが、この作品をおなくなりになる前に書いていただいていたら良かったなあと思うことがいくつかあります。

 たとえばトーマス・マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の続き。
 たとえば、植草甚一の『ニューヨークの夏目漱石』。
 たとえば、辻邦生の『浮舟(実朝の幻の船)』など。


 自分の著作へのコメントが大好きなトーマス・マンは「『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の一章への注解」でこう述べています。(新潮社版全集 七巻 561ページ)
 「この章をエピソードの一つとして含む本をわたくしはもう四十年以上も前に書きはじめた...執筆を中断し...
ようやく最近になって、その続きの執筆に取りかかった次第で、時間と力が及ぶならば、たぶん完成するだろう。...
(主人公は)リスボンへ向う列車中にあって、その旅を始めるところである。話はそこからさらに南アメリカへ、アルゼンチンへ、ブエノス・アイレスへと彼とともに進捗することになる。」

 結局、リスボンから豪華客船に乗船する直前で、公刊された物語は終わっている。私はこのさきを読みたくてたまらない。貴族の替え玉で旅行をするのだが、パリでの貴族との打ち合わせでは、北アメリカにも行くし、日本を含むアジアも予定されていた。実はクルルのモデルは実在するが、彼は実際に日本にも来たという話がある。
 スイスに行って、マンの未完原稿や資料をチェックすれば概要くらいは掴めそうだ。調べにいきたいがその前にドイツ語を勉強しないといけない。

 仕方なく想像や現在手に入る資料などで、後半の物語を推測しなければならない。どこかで、ばれて投獄もされてそこでこの『告白』を執筆しているという設定なので、当時の獄中生活までも資料をさがして推測する必要がある。ある意味では楽しい作業(お遊び?)だが、いつの日にこれができるかはわからない。でも始めないと話にならない。

 同じように、植草甚一先生の著書を読み漁っていると、(『植草甚一読本』)先生は晩年に行ったニューヨークがえらく気に入って、漱石が倫敦に行って神経衰弱になったと言われたが、紐育に行っていれば、楽しく留学生活を送れたろう、その当時の紐育の資料(例えば、雑貨屋のカタログ!?)を集めたので、ぜひこのテーマで書きたいとお書きになっている。(実際にはニューヨーク行きは当時の文部省が許さなかっただろう。)
 これも、書いていただきたかった。明治・大正期の東京の下町の雰囲気も知り、ニューヨークもわかった植草甚一センセイなら絶対面白かっただろう。

 辻邦生夫人の『辻邦生のために』には「「浮舟」の構想をめぐって」という一章がある。実朝を主人公としたお話らしい。他に藤原定家や後鳥羽院の物語も考えていたとか。

 非力な私が、こういった物語を書くわけにはいかない。AIを使って作品を書かせる試みはできないだろうか?
 ともかく、これらをテーマとして考え、調べ、駄文を書くことも読書にまつわる楽しみの一つである。

 ところで、新しい市立図書館、建物は実に立派で設備もいいのだが、蔵書の質が私にはまだ向いていない。『トーマス・マン全集』や『トーマス・マン日記』は揃っていないので、どんどんリクエストしてあわよくば購入して貰うつもりです(^^)

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