2020年12月13日日曜日

『トーマス・マン日記』とサートンの『74歳の日記』を読み比べる

『トーマス・マン日記』を読む。

『クルル』を、とりあえず、リスボン出発の前まで書くことに決めたらしい。それ自体は喜ばしい。不承不承やるにしても、やはりトーマス・マン、手抜きはしない(できない)からだ。エルレンバハの家への不満とカリフォルニアへの思いは続く。難しいところで、カリフォルニアに居たとしても、『クルル』題材への不満は変わらなかっただろう。

1953年7月3日、エルレンバハ。
ウォーターマンの万年筆、Kが選んでくれたこの万年筆はよい。

『クルル』の第8章を書き進める。リスボン滞在をいずれにせよ一度終わりまで書いて、それから自分と小説とがどういう関係になっているかをみることに決断。

7月4日。
ソファーの隅で『ファウストゥス』小説を、それから『選らばれし人』を書き進めていた時代への郷愁。パシフィク・パリセーズの家をけっして忘れはしないだろう。この家は嫌いだ。

7月5日。
第8章を、実験的に書き進める。

7月6日。
第8章に取りかかるが、嫌気がさし悩む。

私の唯一の楽しみといえば、喫煙とコーヒーをのむこと、二つともからだには有害たが、そうなのだ。そのほか書物机に背を丸めて座ることも同じように害がある。

パシフィク・パリセーズにおけるわが家のソファーの隅がいま私に欠けているのだ。

7月7日。
12時45分まで第8章を書き進める。

7月8日。
第8章、1枚書き進める。

7月10日。
昨日来客。いつ不安はおさまるのか。おそらく終わりまで果てないだろう。

7月12日。
ズゥズゥとの対話に手を加える。

7月13日。
ズゥズゥとの対話を書き直し、先へ書き進める。

7月24日。
Kの70歳の誕生日にとうとうなった。晩餐会で私は私の祝辞を読む。お祝いの日は良く美しかった。

7月27日。
疲れた。客たちが去ってくれることを願う。孤独になることへの欲求はとどのつまり墓中の安息を目指している。進行中の『クルル』の章を先へと書き進める試み。おそろしく疲労。

7月28日。
『クルル』第3部第8章を少し書き進める。長くなったリスボンでの滞在を物語り、ふたたび取り上げねばならない第9章への展望。

7月29日。
第8章の結末はほとんど先へ進まない。

7月30日。
第8章の結尾の変更。

7月31日。
第3部第8章を書き終わる。

8月1日。
『クルル』の次章の準備をためらいながら進める。

8月2日。
『クルル』の新しい第9章(両親宛ての手紙)を書き始める。

8月3日。
ルクセンブルク宛てのフェーリクスの手紙を書き進める。

8月5日。
こっけいな『クルル』の手紙の章を苦吟しながら書き進める。

***


午後、メイ・サートンの『74歳の日記』を読み始める。引き込まれて100ページ強を一気に読んでしまった。73歳の年末に脳梗塞となり、その回復過程を記述したもの。かなり重症だったようだが、一人暮らしでの療養を、隣人や友達(犬と猫も含む)の助けを借りながら、必死にやり遂げる。

トーマス・マンの日記と比べると、やはり女性の方が苦しみに耐える力が強そうな印象を受ける。そして、トーマス・マンはちょっとした風邪でも大げさに騒ぎ立てる。メイ・サートンは本当に苦しいときは日記を書いていない。

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