『トーマス・マン日記』を読む。
10月7日の日記を読むと、痛々しい感じがする。年をとるということは、肉体的精神的に衰えることなのだろうが、その中でも精神力、考える力が減っていくのは哀しい。でも、それを自覚して日記に書いているうちは救いがあるし、あとに続くものはそれを参考に、生活をコントロールしていくことができる。「老い」に関する知識を学ぶことで、なんらかの対抗手段を考えつくことができないか、これからトライしたい。
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1954年8月18日、キルヒベルク。
(旅行から)戻る。高地への車での旅、滞在全体、戻りの旅を賛美したい。8月19日。
旅行と大気の変化によってある程度元気の回復を感じる。8月29日。
ラインラントでの賑々しい招待朗読旅行が再開した。ケルン……ドーム・ホテルはライン河に面しており、感じが良かった。しかし……すきま風が吹きぬけていた。……晩、ケルン大学の大講義室で(『クルル』朗読。)翌日、「サン・パウロ美術館傑作展」。シャルダン『独楽を持った少年』。デュッセルドルフへ。シューマン・ホールで朗読。夜行列車で(戻る。)8月31日。
フランクの交響曲第1楽章。(この後しばらくシラーやシラーの関する本を読む。)
9月14日。
晩、九つの交響曲のなかで最も美しい『英雄』を聴く。9月21日。
ベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲。フランチェスカッティの驚嘆すべき演奏。9月22日。
左眼の急性結膜炎。9月30日。
『シラー』講演を書き直める。10月2日。
『クルル』著者控え分10部致着。感じのよい装丁。10月7日。
きのう『シラー』講演を熟慮するも難渋逡巡し、ほとんど実りある進展を見ず。構想を見渡す能力が不足。エーリカ、『大公殿下』封切りのため到着。オリエント・シネマであいさつ。歓呼喝采。
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『リーメンシュナイダーの世界』(植田重雄 恒文社)を、読み進める。
彫刻家として功成り名遂げたリーメンシュナイダーは農民戦争で、農民側を擁護したため、ルター派と結託した封建権力側から、迫害を受けた。晩年は苦しめられたにもかかわらず、彫刻への思いは変わらなかった。そこをトーマス・マンは書きたかったのだろう。理想と現実の間におちたルターの姿と関連付けたかっただろう。マンにあと10年、時間を与えたかった。
リーメンシュナイダーの彫刻作品は、ローテンブルクにもあった。2003年頃職場の仲間とドイツ周遊旅行をしたが、その時に教会で見た記憶がある。
From Wikimedia Commons, the free media repository Deutsch: Rothenburg ob der Tauber, Heilig-Blut-Altar von Tilmann Riemenschneider in der St. Jakobs Kirche |
From Wikimedia Commons, the free media repository Tilman Riemenschneider, mutmaßliches Selbstportrait, Detail vom Creglinger Marien-Retabel |
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