『トーマス・マン日記』を読み進める。
「祝祭の年」と言っている。80歳の誕生日を半年後に迎えるからだろう。胸像を作らせ、肖像画も描かせている。一方で、体の不具合も色々出てきている。当然ながらそれぞれ専門の医者に診てもらっているのだが、総合的に診てもらえる大病院に行ってないのが気がかりだ。米国にとどまっていたらシカゴの大学病院で診てもらっただろう。症状の見逃しがあったのではないかと思えてならない。
*
1954年10月9日、キルヒベルク。
祝祭の年に踏み入ったという感情。きのう劇場やホテルで(従業員たち!)自分自身まるで大公殿下のような応待を受け、そのように反応した様子は、我ながら奇妙だった。すぐに覚める奇妙な人生の夢。10月15日。
『シラー』講演のためのメモ。胸像は何回も(ザイツの)モデルをつとめているうちに拍手を惜しまないほどに出来上がっていく。10月19日。
画家の前に座る。……絵は都合よく進展。10月21日。
画家リッツのために1時間半座る。……今年にふさわしいこの不滅化を私は喜ぶ。10月23日。
ゆうべ、かなり気分が悪かった。腹痛、吐き気。10月25日。
鼻が炎症を起こす。10月26日。
(鼻の炎症の件で)皮膚科へ行く。11月4日。
毎日午前、正規の『シラー』講演原稿を書き進め、予定企画したものを相互に組み合わせ、それが傍若無人に増え続けるに任せている。……背中の痛みは……朝、軟膏で抑える。11月19日。
『シラー』講演のために一切の新しい物書きは止めることにし、毎朝12時45分まで講演を書き進めることに専念するために、朝の日記記入は控える。……湿疹で顔面がふくれ、ほとんどバラ色にな(る)。近所のエルンスト博士に、軟膏、包帯、静脈石灰ブロム注射の手当をしてもらう。
11月20日。
さしあたりは最後のカルシウム注射。*
この医者、大丈夫なのか。
ザイツの胸像はこれらしい。
https://gustav-seitz-museum.de/fotoarchiv/foto3_bildhauer_zeichner/foto3_htm/abb013.htm
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) これは1969年にUlla Schollによって作られた上記とは別の作品 |
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