『トーマス・マン日記』を読み進める。
パリの高級ホテルのウェイターだった時のクルルを連れ帰って跡継ぎにしようとした、キルマノーク卿。風采はあがらないが(特に鼻 昨日のブログ参照😊)、上品な初老のスコットランド貴族のモデルがトーマス・マンご本人だったことは、不敏にしていままで気づかなかった。美貌の若きウェイターを好きになったという点から考えると、すぐ気づくべきだった。失敗した。
1954年は暮れようとしている。
*
1954年11月22日、キルヒベルク。
ゆうべKとエーリカに『シラー講演の最初の20ページを、特異な感動を覚えながら朗読。与えた印象はひじょうによい。鼻がまた少し悪くなる。11月26日。
『クルル』に関する書状来信……「物事をひじょうに忍耐強く、アイロニカルに、不偏不党に見ることができるのはただじっさい老年だけである……」11月28日。
チューリヒ放送局で朗読。500スイス・フラン。ビービがKにキルマノーク卿はじっさい魔術師にそっくりですね!と言う。
12月1日。
スイス連邦工科大学で朗読。立ちどおしで1時間。そのあと脚がひじょうに硬くなった。チャーチルの80歳の誕生日。12月3日。
チューリヒ放送局で朗読。頭が疲れる。眼鏡店で敏感な鼻にとっては金属製よりよい軽い鼈甲縁の眼鏡を注文。12月6日。
スターリン平和賞を受け取るかどうかの問い合わせ。カルシウム・ヴィタミン注射。
12月7日。
ピオ12世数日来再び重篤。静脈栄養補給。12月9日。
ローマのすべての鐘、まったくグレゴーリウスだ。12月14日。
やってきたロシアの人はひじょうに友好的な対話で私の断りの答えを受け取ってくれる。12月21日。
頭の調子が悪い。12月22日。
フェーンの強風。きのう頭がひじょうに鈍かったのはゆえなきことではない。
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昼から、また孫の顔を見に行く。3週間ぶりだったが、随分子供らしく(乳児から幼児の顔へ)変わっていく。笑顔を向けられると、こちらの心は蕩けそうになる。プレゼントの鈴入りの車輪のようなおもちゃを喜んでいただけた。美しい音がするので気に入ったようだ。
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