寝過ごす、クリスマス・イブに食べ過ぎた。朝焼けを見逃さなかったのは幸運だった。『トーマス・マン日記』の頁を開いたら、日記にも「寝過ごした」とあり、笑えた。
1954年7月26日、キルヒベルク。
寝過ごす、時計を見誤ったのだ。旅行準備、荷作り、本の選択。この美しい家を留守にするのが残念だ。シラー論をいく冊か持参。
7月27日。
11時エーリカが運転するプリマスで、アルテ・ラントシュトラーセ39番から出発。
7月28日、ザンクト・モーリツ、スヴレッタ館。
7階の部屋は高すぎ。見られるかも知れない興味深いテニス競技者たちを観察する機会がない。(# この後、『クルル』のなかのテニスの記述を訂正したのかしなかったのか。)
『チェーホフ論』に目を通し、ページ番号を書きこむ。29ページ。29日間。
7月29日、ザンクト・モーリツ。
ジルス・マーリアに移る。ヘッセ夫妻と隣合わせ。
7月30日、ジルス・マーリア、ヴァルトハウス。
3階のよい、快適な部屋。
食堂でヘッセ夫妻とあいさつ。Kは歯が痛い。
8月7日。
エーリヒ・ヘラー教授の『廃嫡された精神』を読む。
8月9日。
ヘラー宛ての手紙を書き始める。
8月18日、キルヒベルク。
戻る。
この小旅行は単なる気晴らしか夏休みだったのだろう。はっきり言うとムダ。
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