『トーマス・マン日記』
温泉での入浴と宿は体調に合わないし、結局気に入らなかった。チューリヒヘ戻る。
1952年9月10日、ガスタイン。
8時起床。10時半に出発。
9月12日、チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダー。
9月10日はミュンヒェン泊。翌日、熟知した土地をドライブ。スイスへ。エーリカの運転は「尊敬に値する。」夜9時に当地到着。きょうは8時半起床。
9月13日。
きのうは旅行の反動で非常に気分が悪い。個室にしたいが空いていない。読書灯がない。熟睡。
起床し、図書クラブ朗会の準備、クックックの章の前置きを書く。
(#これを新潮社版全集で読んでみた。7巻562頁をみると、この時、リズボンへの車中で、話はそこからさらに南アメリカへ、アルゼンチンヘ、ブエノス・アイレスへと進むことになっている!)
9月14日。
一人部屋へ移る。去年の三つ窓の部屋。自分で整頓し気分が良い。
9月15日。
春までの数ヶ月、イタリア旅行の後このヴァルトハウスで過ごそうとの思いつき。フランクフルトから記念講演の依頼。
マダニにかまれていたのを発見、手術してもらう。(#あぶなかったなあ。)
9月16日。
朗読する「第5章」が長いのでエーリカに短縮を頼む。
9月18日。
昨夜の講演(朗読)成功で気分良し。フリード来る。
9月20月。
きのうからハウプトマン講演を書きはじめる。
9月22日。
「ヒス殺害者ニクソン」は収賄で信用失墜。昨晩また帰米するか止めるかの議論。
9月29日。
『芸術家と社会』講演。
10月2日。
新しい計画、ヴァルトハウスに11月末まで居すわる。その間講演旅行。カリフォルニアの家が売れなくても地所を購入して、家の設計を委託。冬は南へ滞在。適切な時期に(荷物の?)空輸の注文。
10月3日。
昨夜、(親友)アルフレート・ノイマン死去の知らせ。電報・花環の注文。
***
今日も、ヴァーチャル・コワーキング・スペース〈喫茶・友の会〉に、入り浸る。多少の世間話をするくらいだが、「孤独」は軽減するようだ。
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1954年版の表紙 From Wikimedia Commons, the free media repository |
思いついて、『クルル』の登場人物「クックック」教授の変な名前を調べる、Google スカラーで「クックック」を引いてみたら、ある論文に、ドイツ語で(鳥の)「カッコー」のことだと書いてあった。なぜ、トーマス・マンがこの名を選んだのはまだ不明。教わるより、自分で考えるほうがいいかも知れない。同時に見つかった論文(*)に、『クルル』の全体の目次が当初どうなっていたかが書いてある。興味深い。5項目のうち、最初の2項目しか書かれなかった。その後の原稿が実は発見されて……という話を考えてみようか。
(*)「詐欺師フェ-リクス・クルルの告白」 の構想と成立(林進 - 大谷女子大学紀要, 1989 - osaka-ohtani.repo.nii.ac.jp)
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