『トーマス・マン日記』を、朝6時から読む。
ケンブリッジで博士号を授与された。生まれ故郷のリューベックも訪れた。トレーヴァミュンデの海岸にも行ってみた。ヒッペのことも思い出した。楽しい毎日だったが、多くの人々に愛想を振りまくのには疲れただろう。
エルレンバハに戻って『クルル』に執筆を再開するが、どうしても「乗らない」。カリフォルニアの快適な気候と使い勝手のいい家を思い出して、ため息をつく。完全なる、老人症候群。
1953年6月2日。
きのうのことはもはや分からない。
6月3日。(注によると5月3日と記してあったらしい。)
ロンドンヘ飛ぶ。6月4日、「ケムブリジ」で(名誉)博士号授与式。5日。ロンドンヘ列車で移動。サヴォイ・ホテルのすばらしい部屋。7日。ハムブルクヘ飛ぶ。8日。大学大講堂でスピーチのあと、パリへの旅とサーカスの章を朗読。9日。大コンサートホールで朗読。前置きスピーチとクックックの章。うまく朗読できた。リューベック市へ。10日。トラーヴェミュンデまでドライブ。帰途、リューベックにて、ホルステン通り、ケーニヒ通り、カタリネーウム実科中高等学校。ヴィルリ・ティムペと鉛筆。永遠の少年愛。11日。午後5時寝台列車で出発。撮影されているので出発まで活発さを保つ。
6月13日、エルレンバハ。
12日6時起床。バーゼルでパスポート検査。チューリヒに9時少し過ぎに到着。フィアットでエーリカが迎える。冒険を成し終えたことに満足。意識もうろうとして疲労困憊。きょうは8時起床。コーヒー、入浴。『欺かれた女』の校正。
6月14日。
『欺かれた女』の校正終了。この物語をもう一度読む必要がないことを望む。
6月16日。
ヨーロッパは私を強く疲労させる。なんといってもパシフィク・パリセーズのほうがはるかに静かだった。遅ればせの誕生日祝い。ウォーターマンの万年筆など。
6月17日。
『クルル』小説へは取っかかり点がない。素材としてしっくり感じないし、憂鬱になるほど見通しがきかない。そわゆえ、仕事をどうすべきか途方に暮れる状態が統き、無為の思いに私は恥じ入り、悩ませられる。こうしてもうどれだけ経ったことだろう。風邪をひく。
6月18日。
夜、咳、しきり。薬をのむ。
6月19日。
軽い気管支カタルと鼻風邪。気分が悪い。
6月20日。
紺碧の空。風邪はかなり重い。ローゼンバーグ夫妻死刑執行。不快。
80歳の誕生日までに、その前に、『クルル』は完成しなければなるまい。考えられることだろうか。少なくとも私の願いはルター小説の計画が展開して、形を成すことだ。自分の想像力が枯れ果てて自分だけが生き残り、もはや何も生み出せない、などと考えるだけでもぞっとする。
6月24日。
『クルル』の写し、屋根裏のこまごまとした原稿などのそばで発見。
6月29日。
長篇小説『クルル』の写し整理。第3部第8章を少し書き進める。
6月30日。
『クルル』の章を数行書き進める。ルターやフスについて読み、考える。
7月1日。
体重は62.5キログラム。『クルル』を少し先まで書き進める。その間、カール五世について調べる。
7月2日。
Kに『クルル』の不安定な仕事ぶりについて話す。Kは『クルル』を切に擁護し、皆がそれを望んでいるという。
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